グッバイ・モロッコ

1998/12/11 TCC試写室
ケイト・ウィンスレットが2女の母を演じるドラマだが……。
結局、何が言いたいのか僕にはわからん。by K. Hattori


 『タイタニック』のケイト・ウィンスレットが、ふたりの子供を連れてモロッコで暮らす、イギリス人のシングル・マザーを演じている映画。僕は『乙女の祈り』『いつか晴れた日に』の少女然としたウィンスレットの印象が強いので、彼女が母親を演じているのにはびっくり。でも、似合ってる。『タイタニック』の時は「太りすぎ!」と一部から批判の出た彼女の立派な体格も、今回の役にはぴったりだったと思う。なお、ウィンスレットはこの映画の撮影中に助監督のジム・スレプレトンと知り合い、先月結婚してしまいました。

 1972年。ウィンスレットが演じているジュリアは、妻子ある男との間にふたりの娘が生み、女手ひとつで育てている。恋人との関係は別れ、彼女は子供たちを連れてマラケシュの安アパートで暮らしているが、生活は彼から送られてくる養育費が頼りだ。彼女はアルジェリアにあるイスラム神秘主義(スーフィー)にあこがれる一方、街で出会った大道芸人のビラルと出会って惹かれあう。やがてジュリアとふたりの娘ルーシーとビー、そしてビラルを加えた4人の生活が始まる……。

 時代背景は今から四半世紀前ですが、ケイト・ウィンスレットの主演映画の中では、もっとも現代劇に近いものかもしれない。彼女は『いつか晴れた日に』や『日陰のふたり』『ハムレット』のような、時代劇の印象が強いのです。『タイタニック』のヒロインであるローズは現代まで生き延びますが、ウィンスレットが演じているのは80年前の海難事故のシーンだけ。『乙女の祈り』も数十年前に実際にあった事件がモデルです。『グッバイ・モロッコ』は衣装や建物がイスラム風で、時代は確かに'70年代なのでしょうが、ウィンスレットの顔を見ていてもそれが何年前の話なのか判然としない。どうもこの映画も時代劇みたいな気がして、映画の中にヒッピー風の若者たちが登場すると戸惑ってしまう。

 エスター・フロイトの原作では、主人公がジュリアの娘(たぶんルーシー)になっているらしいのですが、映画では母親のジュリアを中心にエピソードを組み立てている。僕はどうも、それが失敗だったように思える。ジュリアと子供たちの父親の関係がよくわからないし、彼女がなぜモロッコに来たのか、なぜスーフィーにあこがれているのかが、最後までよくわからないのです。たぶん現実逃避の一種だと思うのですが、そんな現実逃避型の主人公に、観客が感情移入できるだろうか。むしろ原作通り子供たちを主人公にしてしまえば、母親に不合理で不可解な行動があっても、それに対する子供たちのリアクションだけで、物語が作れたと思うのですが……。

 エピソードがぶつ切れで、全体がくっついて大きなドラマになっていない印象。ジュリアはモロッコで何を得て、イギリスに帰って行くのだろうか。どの人物も中途半端で、映画が終わっても釈然としない作品です。ケイト・ウィンスレットがものすごく好きな人と、モロッコの風景に魅力を感じる人には面白いかもしれません。

(原題:HIDEOUS KINKY)


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