巨人伝

1998/11/28 大井武蔵野館
ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を大河内傳次郎主演で日本に翻案。
脚本の構成と傳次郎の芝居が見事だ。by K. Hattori


 ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を、幕末から明治初期の日本に翻案した、伊丹万作最後の監督・脚本作品。ジャン・バルジャンに相当する「まんりきの三平」こと大沼を演じるのは大河内傳次郎。ジャベールに相当する刑事を演じるのは丸山定夫。コゼットに相当する千代子を演じるのが原節子。エポニーヌに相当する国子を演じるのが堤真佐子といった顔ぶれ(だったと思う)。僕はつい先日、リーアム・ニーソン主演で製作されたハリウッド版『レ・ミゼラブル』を観たばかりなので、どうしても両者を比較してしまう。

 長大な原作なので、どこをドラマのポイントにするかで映画の印象はガラリと変わるのだが、この『巨人伝』では序盤を時系列に沿って描かず、回想シーンで処理している点がユニークだ。更生したジャン・バルジャンが町長を勤めている町に、新任の警官として赴任してきたジャベールが、町長の正体に疑問を持つ場面から映画がスタート。バルジャンに間違えられた男が裁判に掛けられるという知らせを聞いて、主人公は過去の自分を回想するという構成になっている。これはなかなか上手い。

 この物語は前半がジャン・バルジャンの逃亡と贖罪、後半では養女コゼットと青年マリウスの恋を描いている。ハリウッド版『レ・ミゼラブル』では、この前半と後半のつなぎがうまく行かず、後半のジャン・バルジャンが弱くなっていた。ところがこの『巨人伝』では物語の前半を回想シーンとして描き、バルジャンの再逮捕と逃亡、コゼットを引き取る場面をブリッジにして、うまく後半につなげている。再逮捕前後でバルジャンが物語から一度退場するため、後半がコゼットとマリウスの話になってもまったく不自然ではないのだ。ハリウッド版『レ・ミゼラブル』からはほとんどカットされたテナルディエ夫妻の悪らつぶりや、コゼットとマリウスにエポニーヌを加えた三角関係も物語に残したことで、バルジャンが物語から後退た後半にもずっしりとした充実感がある。

 この脚本の構成力に加えて、この映画の見どころは大河内傳次郎の堂々たるジャン・バルジャンぶりだ。裁判のシーンでは一人二役まで見せる活躍。テナルディエの悪巧みに堂々と対応する姿や、傷ついたマリウスを背負って逃げる場面で見せる力強さは圧巻だ。ちなみに原作でもマリウスを救出する場面はひとつのクライマックスで、この場面は地下下水道とは切り離せない。『巨人伝』でもちゃんと、小川伝いに逃げたり、橋の下をくぐったりして地下下水道っぽい雰囲気を出していました。

 この映画で難点を言えば、ジャベールを演じる役者に大河内に匹敵する重量感がなかったこと。バルジャンとジャベールの対立を描く点に関しては、ハリウッド版『レ・ミゼラブル』の方がよくできていた。『巨人伝』のジャベールは、単なる嫌な奴です。ここに月形龍之介クラスの悪役がすぽりとはまると、この映画はもっと面白くなっただろうに。当時の東宝には、大河内に対抗できる役者がいなかったんだろうか?


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