残侠

1998/11/16 東映第1試写室
高島政宏主演の古典的なやくざ映画。監督は関本郁夫。
悪い映画じゃないけど、誰が観るの? by K. Hattori


 高島政宏主演の任侠やくざ映画。一度はやくざ映画からの撤退を宣言して「これからはサラリーマン映画だ」と大言壮語した東映だが、サラリーマン路線の第1作『集団左遷』が大コケして新路線は挫折し、結局、もとの定番路線、すなわち、やくざ映画に戻ってきてしまった。しかし『極道の妻たち』シリーズが打ち止めになり、『現代仁侠伝』などの新感覚やくざ映画もイマイチとあって、この路線も先行きが不透明。そんなわけで、今回の映画は開き直って原点復帰。着流しやくざが長ドス片手に敵陣に乗り込む、かつて高倉健や鶴田浩二、藤純子が作った、古典的仁侠やくざ映画に先祖帰りしている。

 この『残侠』は、何から何までコテコテのやくざ映画だ。やくざ映画にあったありとあらゆるパターンを、1時間50分の中にぎっしり詰め込んだ印象さえある。映画の時代背景は、戦前から戦後にかけての10年ほど。主人公は、時代に似合わず古風な仁侠道をわきまえた男として描かれている。彼はやくざ映画どころか、まるで股旅映画から飛び出してきたような折り目正しいやくざだ。渡世人の作法をわきまえ、目上に敬意を払い、目下の面倒見がいい。自分の分際をわきまえ、差し出たことはしないが、いざとなれば命を投げ出す度胸もある。こんな性格だから、子分たちからは慕われているし、若い衆が続々と寄りついてくる。当然、女にももてる。周囲の親分衆たちからも一目置かれている一方、彼をライバル視するやくざからは徹底的に目の敵にされる。

 組織も背景もないひとりの男が、度胸の良さを買われて一家を旗揚げし、やくざ社会の中でのし上がって行く様子は「次郎長物」のようだし、昔気質の古風なやくざであろうとする主人公と、金が第一の現代やくざとの対立は仁侠映画の定番。これに戦後の三国人たちとの抗争、美しい女博徒、不気味な殺し屋、最後の殴り込みなどが矢継ぎ早に登場して、全編がやくざ映画へのオマージュになっている。クライマックスの殴り込みシーンで、主人公が家の玄関を出ると、その後ろに子分がすっと寄り添う場面や、敵陣に乗り込むまでの道すがら、主題歌が大音響でかぶさってくるシーンなどは、往年のやくざ映画を完全にコピーしている。これがパロディではなく、大まじめにやっているところがスゴイ。

 映画としては決して悪い出来ではない。高島政宏は貫禄十分だし、高橋かおり扮する押しかけ女房も芯が強そうで存在感がある。天海祐希扮する女博徒もかっこいいし、中井貴一扮する元やくざの殴り込みシーンも壮絶。ビートたけしが凄みのある殺し屋を演じ、加藤雅也が憎々しげなライバルやくざを好演している。情感あふれるシーンも多いし、ラストの立ち回りもすごい迫力だ。だがこの映画を、いったい誰が観るのだろうか。製作者たちは、どういった観客をターゲットに、この映画を作ったのだろうか。僕はどう考えても、この映画が現代の若者たちに受けるとは思えない。かといって、古くからの仁侠映画ファンがこれを喜ぶとも思えないのだ。


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