1998/11/04 ル・シネマ2
東京国際映画祭/ニッポン・シネマ・クラシック
黒澤明が自分のみた夢をもとに描く全8話のオムニバス劇。
黒澤ファンの僕ですら、すごく退屈な作品。by K. Hattori


 黒澤明監督が大作『乱』の後に撮り上げた、8つの物語からなるオムニバス・ファンタジー映画。各エピソードの冒頭には「こんな夢をみた」という字幕が入るだけで、エピソードごとのタイトルは入らない。第1話は少年が狐の嫁入りを目撃する「日照り雨」、第2話は桃の節句に桃の木の精が現れる「桃畑」、第3話は雪山で遭難した男たちが雪女に出会う「雪あらし」、第4話は復員兵が薄暗いトンネルの中で戦友や部下たちの亡霊に出会う「トンネル」、第5話は主人公がゴッホの絵の中に入り込んでゴッホ本人に出会う「鴉」、第6話は原発の事故で富士山が真っ赤に燃え上がる「赤富士」、第7話は放射能汚染で人間が鬼に変わる「鬼哭」、最後の第8話は笠智衆扮する老人が登場する「水車のある村」だ。

 僕は基本的に黒澤監督の支持者ですが、この映画はつまらないと思う。「日照り雨」や「桃畑」ぐらいまでは、黒澤流の緻密な絵作りに引き込まれるところもあるが、「雪あらし」は正直言って退屈すぎる。「トンネル」の不気味さは買うが、それ以降のエピソードにはろくなものがない。退屈で退屈で、監督の夢の話を観ている前に、こちらが眠りこけそうになってしまった。世の中にはこの映画が「はじめて出会う黒澤映画」という人もいるのだろうが、その人はすごく不幸だ。黒澤明の脚本には定評があるのだが、この映画は何しろ監督本人の夢を描いているので、構成力も複線もオチも何もない。かといって観客の予想をすべて裏切るような物語の暴走もないし、奔放なビジュアル・イメージの爆発も見られない。

 各エピソードには、監督の過去の作品と同じイメージや筋立てが入り込んでいるので、それを探すのが面白いかもしれない。例えば「日照り雨」に登場する竹林の木漏れ日と『羅生門』の関係とか、「赤富士」と『生きものの記録』の相似形とか、「水車のある村」と『七人の侍』の水車小屋の関係や、葬送の列の歌や踊りと『隠し砦の三悪人』の火祭りのシーンを比べるとか……。「雪あらし」の雪山装備が、脚本作品『銀嶺の果て』と同じ時代に設定されているのも面白い。

 「こんな夢をみた」という字幕に象徴されるように、この映画は黒澤明の完全なプライベート・ムービー。最初から長編作家としてスタートした黒澤明の短編が観られるという意味では、すごくユニークな映画かもしれない。ただ、どんな理由を付けようとも、この映画のとりとめのなさとまとまりの悪さには辟易する。映像作家・黒澤明に似つかわしくないことだが、各エピソードの中心テーマを、台詞で語っている部分もすごく多い。例えば「赤富士」「鬼哭」「水車のある村」などは、ラジオドラマでも成立してしまいそうなぐらい台詞が多い。「日照り雨」「桃畑」あたりが僕は好きで、「トンネル」も面白いと思うし、「水車のある村」のオープンセットはすごいと思ったが、あとはまったくダメ。この映画に出資したスピルバーグは完成した映画を観て、がっかりしなかったんだろうか……。


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