ガールズ・ナイト
(仮題)

1998/10/19 TCC試写室
ビンゴで大金を当てたドーンは脳腫瘍で余命わずかだった。
感動的な話なのにさっぱり感動できない。by K. Hattori


 イギリスのテレビ界でシナリオライターとして活躍していたケイ・メラーは、親友デニスをガンで亡くした。ケイとデニスは10代の頃からの親友同士。デニスは当時、ケイの兄のガールフレンドだった。親友を失うという事実にうろたえ、取り乱していたケイに対し、デニスは落ち着いて死を迎え入れようとしているように見えた。やがてデニスの死期が近づいたとき、彼女は親友のケイに、自分たちのことを脚本にしてほしいと言い、ケイはその約束を守って『ガールズ・ナイト』を書き上げた。映画に登場するラスベガスへの旅は、デニスが夢見ながらも果たせなかったものだ。脚本を書き上げたケイは、その時はじめて、死を前にした親友の心の内が理解できたような気がしたという。完成した映画『ガールズ・ナイト』は、天国のデニスに捧げられている……。これは、今回の映画のプレスに書いてあった製作裏話。なんだか泣かせる話じゃございませんか。残念なのは、完成した映画が、この裏話ほど感動的に仕上がっていない点です。

 ビンゴ大会で当たった高額の賞金を親友で分け合うという話は、ニコラス・ケイジが宝くじの賞金をウェイトレスと分け合う『あなたに降る夢』という映画に似ているし、男や家族を放り出して女ふたりがラスベガスに行く部分は『テルマ&ルイーズ』だし(劇中でもタイトルが登場する)、死を間近にした女友達を見守る話は『ボーイズ・オン・ザ・サイド』を思い出させたりもする。物語が脚本家の個人的な体験を核としているくせに、この映画にはオリジナリティがないのです。お話がいろいろな映画に似てしまうのは構わないのですが、テーマやキャラクターには、「これがこの映画のオリジナルだ」という部分がほしい。ところがこの脚本はあまりにも脚本家本人の私生活と近いため、かえって人物を大胆に動かせなくなっているような気がするのです。

 脚本家本人は主人公たちが何を考えているか、当然のことながら手に取るようにわかるのでしょう。それは脚本のモデルとなった「デニスとの思い出」が、脚本家の心の中にあるからです。でもそれを知らない観客は、映画の中にあるものだけがすべて。この映画はその点で、観客に十分な情報を提供しているだろうか。

 この映画のクライマックスは、別れた夫の家を訪ねたジャッキーが夫との会話の中で何かを悟り、ドーンの部屋に飛び込んでくる場面でしょう。ここからすぐに、画面はドーンの葬儀のシーンに移ります。ですからここは、ジャッキーとドーンの最後の別れの場面であり、感動のピークポイントになるべきシーンです。でもこの時、ジャッキーは何を悟ったんだろうか?

 ジャッキーがクリス・クリストファーソン扮する老カウボーイに惹かれる場面はともかくとして、カウボーイがジャッキーにいつ惚れたのかも謎。このあたりは、全部台詞で説明しているだけで、観客としては納得できない部分です。だからラストシーンも、ジャッキーが突然ネバダに現れたように見えてしまう。困りました。

(原題:GIRLS' NIGHT)


ホームページ
ホームページへ