スモーク・シグナルズ

1998/10/16 日本ヘラルド映画試写室
インディアンの血を引く映画人による初めてのインディアン映画。
インディアン青年のロード・ムービーです。by K. Hattori


 ついこの前まで平気で「インディアン」とか「アメリカ・インディアン」と呼んでいたくせに、最近では「ネイティブ・アメリカン」と呼ばないと「差別だ!」と怒られてしまいそうなアメリカ先住民。この映画はふたりの「アメリカ先住民」青年が主人公のロード・ムービーですが、本人たちは自分たちを「インディアン」と呼んでいて、どこにも「ネイティブ・アメリカン」なんて言葉は出てこない。最近のアメリカでは「インディアン」という言葉が死滅していたと漠然と考えていた僕にとって、このことがまず一種のカルチャーショックでした。アメリカ・インディアンは死なず!

 ちなみに平凡社の大百科事典にも、「ネイティブ・アメリカン」なる見出し語は存在しない。「アフリカン・アメリカン(アフリカ系アメリカ人=黒人)」などと同じく、これらの言葉はPC(Political Correctness)運動が盛んなアメリカでも、一部の人たちに使用されている言葉なのかもしれません。PC運動によって生まれた新語を、「反差別」の名のもとに日本人までが無批判に受け入れてしまうことは、ひょっとしたらすごく危険なことなのかもしれないね。……とまあ、ひとつの映画からも、いろんなことが考えられるわけですが……。

 物語はアイダホのインディアン居留地で起きた火事から始まります。炎の中から助け出されたふたりの赤ん坊、ビクターとトーマス。だがトーマスの両親は、炎の中で命を落とし、トーマスは祖母のもとで成長する。火事以来酒を飲み始めたビクターの父は、やがて息子と妻を置いて家を飛び出してしまう。火事から22年後。ビクター母子のもとに、アリゾナ州フェニックスから父の死の知らせが届いた。ビクターは幼なじみのトーマスと共に、フェニックスまで父の遺灰と遺品を取りに行く。あとはお決まりの「旅を通じて自己発見」「死んだ父との和解」「はじめて明らかになる過去の真実」などが登場して、最後は穏やかなハッピーエンド。映画としては、まずまずの佳作と言えるでしょう。

 監督・共同製作のクリス・エアは、シャイエン族とアラパホー族の血を引くインディアン。原作・脚本・共同製作のシャーマン・アレクシーも、クールダレーヌ族の血を引くインディアンで居留地育ち。インディアン自身が作った映画ということもあり、この映画に登場するインディアンの描写はじつに自然で、かつリアルです。同じように居留地のインディアンを描いていた、ジョニー・デップの『ブレイブ』に比べると天と地の違いがあります。(比べてもしょうがないけどね。)

 僕は長距離バスを降りたビクターが、バス停にいたインディアン青年と、無言でうなずきあう場面が印象に残りました。ことらさインディアンの置かれている社会的状況について語る映画ではありませんが、この小さな動作の中にはすべてが含まれているような気がするのです。物語そのものより、ハリウッド映画には登場しない、アメリカの異文化理解という面で面白い映画でした。

(原題:SMOKE SIGNALS)


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