ワン・エイト・セブン

1998/10/07 メディアボックス試写室
生徒の暴力が横行する問題校に、元熱血教師がやってくる。
現代日本の教育事情にも通じる問題作。by K. Hattori


 サミュエル・L・ジャクソン主演の学園物。実験を主体にしたユニークな授業で生徒を引きつける科学教師のトレヴァーは、落ちこぼれの生徒を落第させたことから逆恨みされ、教科書に「187」と落書きされる。「187」とは刑法の殺人罪を示す条項ナンバーで、「殺人」を示す有名な隠語だ。トレヴァーはこれを殺人予告と受け止めるが、主任教師は請け合わない。だがその直後、悪い予感は的中した。彼は後ろから近づいた生徒に、学校の廊下でめった刺しにされたのだ。幸いにして命は取り留めたが、彼の心には深い傷が残ってしまった。だが彼は、教師を辞めようとはしなかった。15ヶ月後、臨時雇いの代用教員として、ロサンゼルスの荒廃した学校に復帰したのだ。忌まわしい過去の記憶におびえながら、トレヴァーの新しい教員生活が始まる。

 公立高校の教師だったスコット・イェイジマンの脚本は、まさに現場の生の迫力が伝わってくるようなリアルさ。特に映画の前半に登場する荒れ果てた学校の描写が秀逸だ。教室では私語が横行し、授業を妨害するためだけに学校に来ているような生徒たちがのさばり、人権や訴訟を盾に教師をいいようにあしらう不良生徒たちが大手を振って構内を闊歩する。学校は訴えられることを恐れて、生徒の横暴を見て見ぬ振り。生徒に暴力を振るわれかけた教員は自衛のために生徒を蹴ったところ、それを傷害事件として訴えられる始末。校長は「生徒はお客だ」と断言し、かつては熱心に生徒を指導していたはずの教師もやる気を失っている。気の弱い教師は、問題のある生徒が何事もなく卒業してしまうか、いっそ学校の外で事件を起こして警察に捕まるか、ギャング同士の争いで殺されてしまうことを願っているほどだ。

 こうした生徒たちを見ると「親は何をしている!」「最低限の躾ぐらいはしてから学校に子供をよこせ」と言いたくもなるが、現代の子供たちは親の言うことなどはなから聞きはしない。子供の暴力にうろたえ、ただただ涙を流すばかり。こうしたエピソードを見ると、少し前までは「アメリカ都市部の底辺校はひどいね」と他人事でいられたが、学校の廊下で生徒が教師を刺し殺したりギャング化した子供たちが町中で抗争事件を起こす現代の日本も、この映画と五十歩百歩と言えるだろう。

 学園物の定番ストーリーでは、熱血教師の情熱あふれる指導によって問題生徒たちが心を開き、見事に更生してめでたしめでたしとなるケースが多い。でもこの映画に描かれているのは、そんなハッピーエンドを拒絶する過酷な現実の姿なのだ。更生不可能な一部の生徒は、教室から排除するしかない。それが他の善良な生徒を守ることになる。だが人権を盾に取る問題児たちを、まともな方法では排除不可能だとしたらどうするか?

 主人公の決断と行動を受け入れられない人も多いだろう。だが彼は最後まで、生徒に向かって命がけで立ち向かっていた。最後まで彼らに何かを伝えようとしていた。僕はその姿に、少しばかり感動してしまったのだ。

(原題:ONE EIGHT SEVEN)


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