ワン・ナイト・スタンド

1998/10/02 徳間ホール
『リービング・ラスベガス』のマイク・フィッギス監督最新作。
恋のはじまりを描く序盤がすごく面白い。by K. Hattori


 『リービング・ラスベガス』のマイク・フィッギス監督最新作。偶然であった男女が恋に落ち、共に1夜を過ごして、互いに連絡先も告げぬまま別れてしまう。たとえそれが本物であったとしても、それはつかの間の恋。ふたりはそれぞれ家庭がある。だが1年後、ふたりは運命的な再会をする。エイズで死にかけている若いアーティストをはさみ、男はその親友として、女はアーティストの兄の妻として……。忘れようとしても忘れられなかった恋の炎が、再び熱く燃え上がる。それはもう、誰にも止められない。本人たちにも、それはわかっていた。

 主人公マックスを演じているのはウェズリー・スナイプス。彼と出会って恋に落ちる人妻カレン役にはナスターシャ・キンスキー。エイズのアーティスト、チャーリーを演じているのは芸達者なロバート・ダウニーJr.(彼は今回の役名と同じ『チャーリー』という映画で、チャプリンを演じていたことがある)。マックスの妻ミミを、アジア系のミンナ・ウェンが演じ、カレンの夫バーノンをカイル・マクラクランが演じている。

 この映画では「一目惚れの好意」をどう「本物の恋」に結実させるかが、序盤での演出のポイント。ホテルのロビーで偶然隣のテーブルに座った男と女の目が合い、互いに相手に興味を持つ。いく度かのアイコンタクトが繰り返され、興味は好意に変わる……。これこそ一目惚れの瞬間です。でもそれから、相手に話しかけるまでが難しい。話しかけるきっかけは、ほんの小さなインクの染み。そのまま離ればなれにならなかったのは、その日の交通渋滞が原因。そして1枚余ったコンサートのチケット。路上の強盗。恋はいつも、いくつもの偶然に支えられているものです。偶然が積み重なって恋が実るからこそ、本物の恋は運命的なものに思えるのでしょう。

 映画としては、このスリリングな序盤と最後のオチが面白かった程度で、中盤から終盤にかけては平凡なもの。病院のベッドで死に向かうチャーリーと、その横で恋の炎を燃やすマックスとカレンの対比が物語にダイナミズムを生み出さなければならないのに、この映画はそれに失敗して物語がふたつに割れている。『リービング・ラスベガス』は主人公の中で死と生が奇妙な同居をしている点がユニークだったのですが、『ワン・ナイト・スタンド』には両極に引き裂かれる様子が希薄なのです。「家庭か恋か」「仕事か友情か」という対比も不発。どのエピソードも切実さを感じない、表面をつるりと撫でただけの印象を与える。体重の乗ってないパンチです。

 クライマックスはチャーリーが死んだ後のお別れパーティーですが、ここにはまったくスリルがない。あらかじめ決められたゴールに向かって、のろのろと物語が進んで行くだけの段取り芝居。チャーリーのポートレイトなどを効果的に使えば、これを死者の手による縁結び、ある種の奇跡物語として見せることも可能だったはずなのに、編集に切れ味が不足してカットバックがまったく生きていない。結果、やや散漫な映画になってます。

(原題:One Night Stand)


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