インフィニティ
無限の愛

1998/09/28 GAGA試写室
マシュー・ブロデリックが初監督と主演を兼ねたラブ・ストーリー。
物理学者リチャード・ファインマンの若き日々。by K. Hattori


 『恋におぼれて』『GODZILLA/ゴジラ』のマシュー・ブロデリックが、ノーベル物理学賞をとったリチャード・ファインマンの若き日を演じる伝記映画。これはブロデリックの初監督作品でもある。原作はファインマンの書いた自伝「困ります、ファインマンさん」だが、映画では彼の最初の妻アーリーンとの恋と、原爆開発の舞台裏に焦点を絞っている。脚本は監督マシューの母でもあるパトリシア・ブロデリックが担当。もともとファインマンの原作を最初に読んだのは彼女で、マシューにファインマン役をすすめたのも彼女だったという。この映画では、母子そろって製作にも名を連ねている。

 悲劇のヒロインとなるアーリーンを演じているのは、不幸な役を演じるとハリウッドでナンバー・ワンのパトリシア・アークエット。『トゥルー・ロマンス』や『エド・ウッド』を観た後、彼女がニコラス・ケイジ夫人になったニュースを聞いたときは「こんちくしょー」と思ったけど、『ロスト・ハイウェイ』『シークレット・エージェント』『インフィニティ/無限の愛』を続けてみると、彼女の暗さに打ちのめされそうになる。僕は『インディアン・ランナー』以来の彼女のファンですが、今回の高校生役はかなり苦しいと思った。彼女は暗い表情の中からこぼれ出る笑顔が魅力なのに、ブロデリック監督はその表情を映画で見せてくれなかった。

 主人公は有名なノーベル賞学者で、原作の自伝はベストセラー、本人は亡くなっているものの関係者には存命の人も多く、そうした人々にいちいち取材して回ったという入魂の脚本ですが、残念ながらできは芳しくない。細切れのエピソードがただ羅列してあるだけで、エピソード同士がつながってドラマになって行かないのです。もとが実話だからといって、脚本がそれに縛られていたのでは映画にならない。感動的な実話を忠実に映画化すれば観客も感動するだろうと考えるのは、漫然と撮った素人の記念ビデオや、家族のアルバムを延々見せられるのと変わりません。事実をテーマに沿って並べ替え、時にあるエピソードを強調したり、別のエピソードで補ったりしながら、個々のエピソード以上の意味を付け加えて行くのが「ドラマ作り」というものでしょう。

 この映画では、主人公リッチーとアーリーンが結婚に至るまでが駆け足すぎて、ふたりの絆の強さが今ひとつ見えてこない。結婚したふたりが、アーリーンの病気とどう折り合いを付けていったのかも説明不足すぎる。例えばリッチーがアーリーンの唇にはキスしないという描写も、キスしてもらえないアーリーンの辛さ伝わってきても、キスしたくてもできないリッチーの気持ちが伝わらない。病気と付き合う不自由な生活の中で、ふたりが持ち合わせていたユーモアがどれだけ助けになったかも、まったく配慮されていない。個々の描写はあっても、それがドラマにまったく寄与していないのです。そんな映画なので、僕はアーリーンが死んだとき「ようやく死んでくれたか」と少しホッとしてしまいました。ひどいね。

(原題:infinity)


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