大往生

1998/09/17 イマジカ第1試写室
永六輔のベストセラーを藤田傳ひきいる劇団1980が映画化。
劇団の魅力を映画で生かしきれてない。by K. Hattori


 岩波新書から発行されている永六輔の原作は、市井の庶民がふと口にした名言・金言を集めた語録集で、物語性はまったくない。とうぜんそれだけでは映画にならないので、この映画は永六輔の他の著作「無名人名語録」「普通人名語録」「一般人名語録」などからも印象的な言葉をピックアップし、それを物語の中に散りばめている。永六輔の著書に多くを借りながらも、実質的には脚本・監督の藤田傳が書いたオリジナルと考えたほうがいいだろう。この作品は、もともと藤田傳が主宰する劇団1980(いちきゅうはちまる)が、舞台劇として演じていたもの。映画の方も劇団のメンバーが総出演。ゲストに永六輔と役所広司が出ているが、劇映画というより、舞台劇の映画への移植版と考えたほうがスッキリしそうだ。イメージとしては、自由劇場版『上海バンスキング』のようなものを想像していただきたい。登場するのは老人が多いが、そのほとんどは役柄より若い役者がメイクやかつらで演じているもの。黒澤明の『生きものの記録』における三船敏郎ですな……。

 僕は劇団1980の舞台を2度ほど観たことがある。粒ぞろいの役者がそろった、いい劇団といい芝居だと思う。この映画のもとになった舞台は観ていないのだが、映画からは1980の魅力がもうひとつ伝わってこなかったのが残念。やはり舞台劇の魅力は、舞台という限定された空間でのみ生き生きと躍動するのかもしれない。自由劇場版『上海バンスキング』は、それを見越してほとんどがセットを使った映画になっていた。この『大往生』も、芝居が室内で行なわれているときはさほど違和感がないのだが、人物が屋外に出ると、途端に力が逃げてしまうような気がした。芝居では役者と観客の熱気が少しずつ舞台に伝わり、やがて舞台の板が発する熱と役者の芝居と観客の興奮が、渾然一体になるような瞬間があるのですが、映画からはそれを期待できないのです。

 脚本そのものは、老人のボケや介護、家族との関係、老人たち自身の生きがい探し、生と死の境界など、さまざまなテーマを盛りこんで、うまくまとまっていると思う。ボケの特効薬が高値をつけるという話や、老人たちが回春薬作りに夢中になるくだりは、最近のバイアグラ騒動の写し絵のようで面白い。ただしこうした物語の面白さも、「映画作品」としてはやや食い足りない。密度の濃い舞台劇を、フィルムを使って薄めてしまったような印象を受ける。映画を撮るからには、映画ならではの構成や仕掛けを、どこかに作っておいてほしかった。この映画では、現実の風景が舞台の大道具や書割の風景と同じようにしか扱われていない。カメラを外に出すという行為に、もっと積極的な意味を見出してほしいのです。

 個人的には「久しぶりに1980の芝居を観に行きたいな」と思える映画になっていたのですが、劇団を知らない人が映画だけ観ても、どれだけ面白いかは疑問。総じて意欲だけは見えても、映画としては空回りした部分が目立つ中途半端な作品になっている気がした。


ホームページ
ホームページへ