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1998/09/11 メディアボックス試写室
昔かたぎのギャングがすべてを失う池波正太郎的な犯罪映画。
ロバート・カーライルの表情がすごくいいぞ。by K. Hattori


 世間から悪党扱いされるギャングの中にも、彼らなりの倫理や正義というものが存在する。仲間を裏切らないこと、仲間に迷惑をかけないこと、仲間内の約束事を守ること。ギャングという、必ずしも実入りのよくない仕事では、そうしたルールだけが彼らを守っているのだ。しかし「金がすべて」という世の中では、そんな昔ながらのモラルも形骸化しつつある。この映画は、それでも昔ながらのスタイルを貫き通そうとするギャングたちが、現実の厳しさの間で板ばさみになる様子を描いている。

 「鬼平犯科帳」で知られる作家の池波正太郎は、大の洋画ファンだったことでも知られていたが、たぶんこの映画を池波氏が観れば「うむ」と唸ったに違いない。描かれているのは、池波氏描くところの盗人たちの世界と同じだからです。準備に時間がかかる割には、強盗は他の仕事に比べて特別儲かるわけではない。主人公レイが、助っ人に入った若い男に言う台詞が印象的だ。『俺は今、35歳だ。24までは堅気だった。もし、まともに働いていれば、倍の金は稼げただろう』。彼はそう言って、若い男に堅気になることをすすめるのです。こうした台詞が、ちょっと池波調なのです。物語そのものは、よくあるギャング映画。息の合ったギャングチームが内部分裂を起こし、最後は自滅して行く話です。最後に主人公がすべてを失い、恋人と一緒に宛てのない逃亡に出るあたりは、池波正太郎の「雲霧仁左衛門」みたいだった。

 最近の派手な映画を観なれた目には、この映画はやや地味に思えるかもしれない。この映画は『現金(げんなま)に手を出すな』の流れをくむ正統派のフィルム・ノワールなのだが、主演がジャン・ギャバンではなく、ロバート・カーライルだという点が今風なのだ。初老のギャングが長年苦楽を共にしてきた仲間や部下たちと犯罪に手を染めるのではなく、若い男が刑務所の中で知り合った年配の男たちを仕切って犯罪を起こすところが新鮮。そして、それが不自然に見えないのが上手い。これはやくざの世界でもそうだが、犯罪者の社会は厳密な実力主義で、年だけ取っても実力がなければ永久に下っ端のままなのだ。腕力はなさそうだがインテリ風のカーライルが、自分より10も20も年かさの男達の上に立ったとしても、周囲がそれを納得すれば何も問題は起こらない。

 『司祭』でも木目細かな演出を見せていたアントニア・バード監督は、この映画でもていねいな演出ぶり。警察に追われた主人公が、母親に「金と車を貸してくれ。本当に困ってるんだ」と泣きべそをかきそうな表情で訴えるシーンや、待ち合わせ場所に恋人の姿が見えなかったときの心細そうな表情などは、もちろん演じているカーライルの上手さゆえだ。だがその輝きも、その場面で的確に表情を引き出す演出があってこそのものだろう。

 じつは今回この映画を観るのは2度目。前回は盛岡ミステリー映画祭のクロージング上映で、前夜の夜更かしがたたって寝てしまった。今回改めて映画を観なおして、派手さはないが、観るべき点の多い映画だと感じた。

(原題:FACE)


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