学校III

1998/09/10 松竹第1試写室
職業訓練学校で出会った妻子ある中年男と未亡人の恋物語
『学校』シリーズ初の本格ラブストーリー。by K. Hattori



 5年前の『学校』は夜間中学が舞台、2年前の『学校II』は養護学校が舞台で、今度の『学校III』は職業訓練校。新聞や雑誌で教育問題が盛んに取り上げられ、イジメや不登校や暴力事件が社会問題化している時代に、山田洋次監督はなぜこうも特殊な「学校」ばかりを舞台に映画を作っているのだろうか。これは結局、現代の教育の現場や、子供たちが置かれている状況からの逃げではないのか……。これが今回の映画の内容を知ったときの僕の感想だし、その意見は映画を観終わった今でも変わっていない。でも、僕は今回の『学校III』が好きになってます。何よりよかったのは、前2作にあった「先生と生徒の触れ合い」「親身になってくれる先生さえいれば、生徒は救われる」という甘っちょろいメッセージが、すっかり姿を消していることでした。

 今回の映画は一応『学校』シリーズの3作目という体裁にはなっていますが、出演者から西田敏行も消えて、すっかり別の映画になっています。今回の映画は確かに学校を舞台にしているし、普段我々の知ることのない種類の学校を描いている点では、前2作と同じ。でもそこで演じられているのは、妻子ある中年男と、障害を持つ子供を抱えた未亡人との、プラトニックな恋の顛末です。これは『学校』シリーズというより、例えば『旅情』や『めぐり逢い』など、かつて洋画にたくさんあった悲恋物の一種と考えたほうがいいと思う。山田洋次監督は寅さんシリーズが長いので、松竹大船調を継承するベタベタの日本人体質だと思われがちですが、意外にこうしたバタ臭いところがあるのです。

 導入部は主人公たちが失業するところから始まり、続く職業訓練校の生徒自己紹介では、やれリストラで馘首だの、工場がつぶれただの、店がだめになっただの、不景気な話ばかり出てきて嫌になってしまいます。訓練校に通いながらも再就職の道を探る小林稔侍が、『人情紙風船』の河原崎長十郎のように、昔の知人に電話して回るのも暗すぎる。確かに失業は辛いでしょう。中年になってからの資格所得は難しいでしょう。再就職にも不安があるでしょう。でもそれを強調しすぎて、「庶民は戦ってます」みたいになってしまうのが、山田監督のダメなとこ。不景気なのは日本人全員がわかってるんだから、このあたりはサラリと通過してほしかった。

 世の中の不況や学校という舞台を除いてしまうと、この映画はいかにも古典的な「道ならぬ恋に身を焦がす男女の恋物語」になる。一度は恋をあきらめたふたりが、女性の側が病気になったことで再会するというラストは、まるでヨーロッパ映画です。スマートじゃないところも多々ありますが、『学校』という自分で育てた人気シリーズの軒先を借りて、まったく別のことをやろうという意欲は伝わってくる。個人的には、『学校』シリーズの中で、僕の一番好きな映画になりました。ダメなところも本当に多いんですが、まったく予想を裏切られた内容に、僕は大いに満足しています。



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