たどんとちくわ

1998/08/18 GAGA試写室
客を恫喝するタクシー運転手と、芸術家ぶった物書きの物語。
市川準が初めて撮ったバイオレンス映画。by K. Hattori


 椎名誠の原作を映画化した市川準監督作品。市川監督はデビュー作『BU・SU』から前作『東京夜曲』まで、日常を生きる人間の営みを淡々と描く作風で知られていた。ところが今回の作品は、そんな従来の「市川節」を完全に破壊する狂気と暴力に満ちた映画になっている。主演は役所広司と真田広之。タクシーの運転手が徐々にストレスを溜め込み最後に爆発する「たどん」を前半パートに、売れない物書きが居酒屋で狂気の発作を起こして大殺戮を演じる「ちくわ」を後半パートに配し、それぞれ独立したエピソードとして描かれる2話オムニバス風の構成だ。この2話は最後にひとつに融合する。

 ふたつのエピソードとも、主人公たちの主観ショットを多用した一人称の映画になっている。映画は彼らの心の内面に入り込み、彼らの苛立ちや焦燥感、狂気の淵すれすれまで観客を引っ張って行く。椎名誠の原作は未読だが、小説ならこうした狂気の一人称描写も十分に可能なのだろう。しかし映画というメディアは、映像が持つ客観的な写実性ゆえに、個人の狂気を万人が認める絵にすることが不得手だ。「たどん」パートでは、タクシーの窓の外を流れて行く東京の風景を時制を無視したカットバックでつないだり、主人公の運転手を演じる役所広司の巧みな芝居で、日常の底からゆっくりと浮かび上がってくる暴力衝動を描こうとしている。比較的オーソドックスな演出スタイルだとは思うが、これは8割方成功しているのではないだろうか。一方「ちくわ」の側は、真田広之演じる物書きのモノローグを多用することで、主人公の内面と外面の分裂を描こうとしている。

 狂気とは理不尽で不条理なものだ。当人にとっては正当な行動でも、それは他人に予測がつかず、どう見ても辻褄の合わないからこそ、それは「狂気」と受け止められる。そういう意味では、この映画の「たどん」パートは、観客に主人公の狂気を感じさせない部分がある。ストレスのたまったタクシー運転手が、日頃の鬱憤をたまたま乗り合わせた客にぶつけてしまった。そんな因果律の範疇で、主人公の行動を解釈することも可能なのだ。でもこれは、あまりにもつまらない。彼はやはり狂っているのです。最後に燃料店の主人に笑いながらトカレフを渡すシーンが、彼の狂気を端的に現している。

 これに比べると、「ちくわ」パートの狂気はストレートすぎる。これぞ狂気そのものだ。しかし狂人の内面世界に感情移入する観客などほとんどいないのだから、このエピソードは観ていてちょっと辛い。最後の殺戮シーンで原色の絵の具をぶちまけて行く演出は面白かったし、最後に真田広之が見せるホッとした表情なども可笑しいのだが、「たどん」パートが持っていたリアリズムの恐さに比べると、ファンタジックすぎるような気がした。

 市川準監督にとっては、かなり冒険した作品だと思う。今まで確立したスタイルの殻をなかなか突き破れなかった監督にとっては、エポックとなる作品だろう。これを観ると、市川監督の次回作に俄然期待してしまう。


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