十三人の刺客

1998/07/31 並木座
暴虐な大名の老中就任を阻止する秘密暗殺部隊。
昭和38年製作の東映時代劇。by K. Hattori


 銀座・並木座が9月で閉館になれば、往年の日本映画をスクリーンで観る機会はめっきり減ることだろう。僕は並木座には結構お世話になっている。小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明、川島雄三、木下恵介らの作品をまとめて観ることが出来る数少ない場所だったし、『ハワイ・マレー沖海戦』や『五人の斥候兵』『馬』など、戦前戦中の名作を観たのもここだ。この映画館があるから、いつでも観られると思ってついに観ずじまいになってしまった映画も多い。溝口健二の諸作品や、『風の又三郎』『綴り方教室』などは、並木座の定番番組だっただけに、今となっては観ていないことを悔やむ。

 この『十三人の刺客』を僕が最初に観たのは、やはり3年前の並木座でだった。この映画もビデオで観ていたのでは、特に前半の様式的な構図を多用した場面は退屈に感じられてしまうかもしれない。スクリーンで観ると、後半の壮絶な立ちまわりより、むしろ前半から中盤に多用されているシンメトリック(左右対称)な構図や、横長の画面をたっぷり使った安定感のある絵作りが上手いと思う。どっしりと落ち着き、動きを極端に抑制した静的イメージと、後半の大乱闘シーンが溢れ出させる動的イメージの対比が、映画をダイナミックなものにしているのだ。特に導入部では、シンメトリーの安定した構図で状況説明をし、物語に少し動きを出すときはシンメトリーな構図を少しだけ崩すという手法が徹底している。

 片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介など、戦前からの時代劇スターが登場し、それぞれにたっぷりの見せ場を用意しているところも心憎い。中でも月形龍之介の貫禄十分な芝居には、思わずため息が出るほどです。アラカンが最後の最後までほとんど動かず、ぎりぎりのところでチャンバラに参加するのも嬉しい。並居る敵がいかにも竹光という刀を振り回しているのに比べ、アラカンの立ち回りはずっしりとした刀の重みを感じさせます。これは本物の刀を使っていたのか、それともアラカンが長年に渡って身に付けてきた芸の賜物なのか。大きく振り上げた刀が、加速をつけて振り下ろされると、本当に鉄の塊を振り回しているように見えました。

 この映画の中では「侍」の生き方と死に方が大きなテーマになっている。太平の世の中で、「武士」という社会階級に甘んじることなく、自らを「いくさびと」として律している男たち。己が安楽な暮らしより、主君のため、世の人々のために生き、時がくれば命を投げ出すことも厭わぬ男たち。そうした生き方は美しくもあり、またみじめでもある。主人公たちは責任を回避しようとする幕府老中から表向きの任を解かれて孤立し、何ら後ろ盾のないまま死地に赴いて行く。

 最後まで生き延びた大名側の侍がひとり、泥田の中で引きつった笑い声を上げます。彼は戦いの中で「生き延びる」という意味では、個人的な勝利を得た。しかし彼には、もはや帰るところはない。主君をむざむざと殺された警備の侍は、いずれ切腹させられるのでしょう。


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