HOUSE
ハウス

1998/06/20 盛岡東宝
(第2回みちのくミステリー映画祭)
大林宣彦監督のデビュー作は、ファンタジックなホラー映画。
サービス満点の内容に大いに満足しました。by K. Hattori


 有名なCMディレクターだった大林宣彦監督が、昭和52年に作った劇場用長編映画デビュー作。池上季実子以下7人の女子高生たちが、避暑に訪れた田舎の「家」に食べられてしまうという、ファンタジックなホラー作品です。アイデアそのものはすごく単純なのですが、無数のオプチカル合成を使って作られる画面は、めまいがしそうになるぐらい奔放なイメージの洪水となっている。15秒のCMで使われているテクニックを、そのままの密度で1時間28分の映画に持ち込んでいる感じ。普通の映画なら合成ショットを5秒ぐらいは見せるところを、惜しみなく2秒でカットして次の合成ショットに切り替えて行くような、スピード感のある編集も贅沢です。

 井戸で冷やしていたスイカが生首になるとか、ピアノに食べられてしまうとか、部屋がいきなり血の池になるなど、あの手この手で殺される少女たち。うーむ、ファンタスティック。少女たちの見分けがつきにくいとか、性格描写が薄っぺらとか、いろんな批判は当然できるわけですが、それをビジュアル面のアイデアでぐんぐん押し切って行くパワーには脱帽。脚本より、物語の構成力より、圧倒的に映像が幅を利かせている映画だし、それできちんと成功している作品でしょう。この圧倒的なイメージの奔流を受け止めるには、中途半端な人間ドラマなどかえって邪魔になるだけです。映像の迫力に拮抗できるのは、人間の生身の体が持つ存在感だけなのです。その点で、この映画に登場する人物たちは存在感たっぷり。特に、最初と最後に登場する鰐淵晴子がすごい。彼女が登場することで、単なる映像のお遊びととられかねない物語が、ちゃんと「怪談映画」になるのです。

 全編にみなぎるサービス精神にも感心します。このしつこさは、少し前の香港映画に近いぞ。音楽担当の小林亜星がスイカ売りで登場し、同じく音楽担当のミッキー吉野とゴダイゴの面々がカメオ出演する。次々起こる殺人シーンで女の子達を震え上がらせ、クライマックスでは池上季実子と松原愛のヌードシーンを見せて男の子達にも生唾ゴックンの場面を用意している周到さ。最近の日本映画に欠けているのは、この手のサービス精神ではないでしょうか。(大林映画にも、最近はこれほどのサービス精神がないんだけどね……。)

 女の子同士の会話をワイプでつないだり、特定の人物に注目させるためにアイリスマスクを使ったり、心情描写のためか突然人物の周囲にお花畑の映像を合成するなど、今観ても新鮮な映像表現の数々。状況説明にサイレント映画風の場面を挿入する手法は、新作『SADA』でも使ってたテクニック。デビュー作にはその人のすべてが現れるといいますが、まさにこの作品もそうしたデビュー作のひとつ。この映画には大林宣彦の持つありとあらゆる手法の原形があります。

 これと同じ方向を目指したのが、昨年公開された『学校の怪談3』あたりなのかな。どうせなら東宝は『HOUSE/ハウス』を正式に再公開すべきです。


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