天使が見た夢
(原題)

1998/06/12 パシフィコ横浜
(第6回フランス映画祭横浜'98)
少女たちの友情と別れを描いた辛口の青春ドラマ。
ナターシャ・レニエがよいぞ。by K. Hattori


 映画祭での上映ということで、映画の後に監督や出演者との簡単な質疑応答が用意されているのですが、この映画については誰がどんな質問をするのかと興味津々。というのは、この映画は完成度が非常に高くて解釈に迷う余地がなく、観た後は誰もが沈黙してしまうような作品だったからです。案の定、映画の後は、若い女優たちに対する「将来はどんな女優になりたいですか」という質問や、監督に対して「あのラストは悲しすぎます」といった注文がある程度だった。僕はこの映画に百点満点をあげてもいい。ただし、この映画を観て自分のことのように感動できたかというと、それは残念ながらなかった。映画の完成度と感動は、別次元の問題ですからね。

 『一番美しい年令(とし)』のエロディ・ブシェーズ演ずるイズと、ナターシャ・レニエ扮するマリーという、ふたりの少女が主人公。ふたりは勤め先の工場で知り合い、あっという間に無二の親友になる。交通事故で入院中の母娘のアパートで、住み込みの留守番をしているマリーのところに、居候するかたちで転がり込んだイズ。気ままな女ふたりの生活だったが、マリーが金持ちの息子クリス(演じているのは『ビフォア・ザ・レイン』で若い修道士を演じていたグレゴワール・コラン)と付き合いはじめたことから、すべてが壊れてしまう……。はじめはイズが幼く、マリーが大人びて見えた関係が、クリスの登場から逆転し、恋に我を忘れてしまうウブなマリーを、イズがたしなめるようになる。イズの持っていない物をすべてを兼ね備えていたマリーはすべてを失い、イズは新たな一歩を踏み出して行く。こうした情況変化のダイナミズムが、物語を劇的なものににしています。

 交通事故で植物状態になって入院している少女サンドリーヌの日記帳が、物語に神話的・寓話的な意味合いを与えています。日記の執筆はイズが引き継ぐのですが、こうして1冊の日記帳を共有することで「イズ=サンドリーヌ」という双生児のような関係が生まれる。この関係は象徴的なものです。サンドリーヌが事故で入院すると、そのかわりにイズが部屋を使いはじめ、サンドリーヌが回復すると、イズは部屋を出て別の町へと移動して行く。ふたりは直接顔を会わせることがない。ふたりは日記帳というひとつの媒介を通して、同じ役割を演じているひとつの人格のように振る舞っています。もちろんこれは、イズがそうした役割を作ったのですが……。

 映画は最初から最後まで冗長な部分がないパーフェクトなものだと思いますが、マリーとクリスのベッドシーンは税関の修正指示があったようで、画面が突然真っ暗になったのには驚きました。(会場では外国人観客から笑い声とブーイングが起きてましたが……。)修正不可とは言いませんが、ここ場面はマリーがクリスとの関係に本格的に溺れて行く重要な場面ですから、不粋な修正には興醒めします。この映画は日本でも劇場で一般公開されるようですから、その時はもう少し丁寧に修正してほしいと思います。(当然そうなるでしょうが。)

(原題:LA VIE REVEE DES ANGES)


ホームページ
ホームページへ