ザ・ブレイク

1998/06/01 メディアボックス試写室
『クライング・ゲーム』のスティーブン・レイが主演のラブストーリー。
女性たちに対する主人公の気持ちが不明確。by K. Hattori


 『クライング・ゲーム』『マイケル・コリンズ』など、ニール・ジョーダン監督作品の常連俳優として日本の映画ファンにもおなじみのスティーブン・レイが、自ら企画し、主演したラブストーリー。刑務所から脱獄した元IRA兵士のダウドは、刑務所の外から彼を励ましつづけた恋人ロイシンと別れてアメリカに渡り、静かな生活を送ろうとしていた。しかし、グアテマラ出身の女性モニカと恋に落ち、独裁政権に家族を殺された彼女が復讐のために暗殺計画を練っていることを知ると、それをサポートするため再び銃を手にすることになる……。

 刑務所の中のIRA兵士と妻や恋人の関係は、少し前に観た『ボクサー』という映画にも描かれていた。彼女たちは、自分たちの夫や恋人を決して見捨てない。いつ帰るとも知れない男たちを、塀の外でずっと待ちつづけ、励ましつづける。それが彼女たちにとっての戦いなのだ。しかしこの映画の主人公ダウドは、離れ離れになった恋人ロイシンとの間に、少しずつ溝ができていることを感じている。彼女が自分をどんなに愛していても、彼の方から積極的に彼女の愛に応えることができないのだ。この映画の中では、彼のロイシンへの感情がやや曖昧に描かれている。彼は刑務所にいる間に、彼女への愛が冷めてしまったのだろうか? それとも、まだ若い彼女の身を思いやり、自分から離れて行くことで彼女が幸せになることを願っているのか?

 アイルランドではロイシンの愛を拒んだダウドも、アメリカに渡ってからは、知り合ったばかりのモニカと付き合いはじめる。もし「逃亡者である自分といてはロイシンが不幸だ」と考えて彼女と別れたのであれば、彼がモニカと付き合う理由がわからない。彼は「モニカなら不幸になっても構わない」と考えているのか? それはずいぶんと身勝手なんじゃないか? それとも、ロイシンは一般市民だけど、モニカはテロを計画中だから「自分と同類」ということなのだろうか? でも、ダウドと付き合いはじめた時点で、モニカはまだテロを実行したわけではない。テロの計画とテロの実行は、イコールではないはずです。どうも釈然としないな。

 僕はこの映画を一種のラブストーリーだと考えているわけですが、ふたりの女性の間で動いている彼の気持ちが、僕にはよく理解できなかった。これは脚本が悪いのかもしれない。例えば、ダウドは本当にロイシンを愛していて、彼女のために苦しみながらも別れたことを強調しておき、中盤以降はモニカをロイシンの身代わりとして愛するダウドと、そんなダウドの気持ちを知りつつ彼を愛するモニカの物語にすることも可能ですよね。要するに「トリスタンとイゾルデ」の現代版です。ダウドがトリスタン、ロイシンがイゾルデ、モニカが白い手のイゾルデ。トリスタンは戦いの中で傷つき、イゾルデの到着を待つことなく命を落とす。モニカには気の毒だけど、その方が物語が力強くなるし、各キャラクターの位置関係も明確になってくるんだけどな。

(原題:THE BREAK)


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