月の出の決斗

1998/05/28 近代美術館フィルムセンター
『狐の呉れた赤ん坊』と同じ、阪妻・丸根コンビの作品。
占領下の映画なのに、チャンバラがある! by K. Hattori


 近代美術館フィルムセンターで開催されている「占領下のNIPPON」という特集上映の中の1本。昭和22年の大映作品で、主演は阪東妻三郎、監督は丸根賛太郎という『狐の呉れた赤ん坊』のコンビだ。この映画の最大の驚異は、最後に阪妻とヤクザたちの大立ち回りがあるという点。この当時は占領軍による映画検閲で、刀を持っての立ち回りは禁じられていたはずなのですが、この映画を観ると、ちゃんとチャンバラをやっているではないか。僕が座右の書にしている、永田哲朗の「殺陣・チャンバラ映画史」にも、この時代の映画は『立ち回りはない』『あっても素手でやるとか薪ザッポウを振り回すといった調子で、刀を抜くことをやっと許されても峰打ち。いわば“刀を抜かない時代劇”だった』と書かれている。この映画を観なければ、こうした資料を鵜呑みにするところでした。う〜む、これだから映画は面白い。この映画は公開当時非常にヒットしたそうですが、それはきっと阪妻の立ち回りが目当ての客だったに違いない。

 この映画は、映像や演出の面でも見るべき点の多い作品です。阪妻扮する浪人と、農民たちの指導者となっている学者が、夜の川をざぶざぶと渡るシーンの美しさ。川面に映る月の光がきらきらと反射して、クライマックスの月に至るウリになっている。やくざの大八一家が代官から十手を預かり、手下が次々と棒十手片手に飛び出して行く場面のオーバーラップ処理も見事。百姓の平吉が、大八一家の賭場に入ろうか入るまいか迷うシーンや、博奕に負けても負けても、また中に戻ってしまう様子は面白い。こうした演出の上手さは、今観ても面白いし、技術的な水準も高いと思います。

 ひとりで居酒屋を切り盛りする女と、主人公の情愛の描写も見事。帰ってきた男が人を斬ったのではないかと心配し、刀をそっと抜いてみて安心する場面では、彼女の男に対する気持ちがひしひしと伝わってくる。これに対し、夜遅くに帰った男が、眠りこけている女を起こさないようにそっと酒の支度をはじめる場面では、口には出さない男の優しさがにじみ出ている。こうした場面があるからこそ、クライマックスでふたりがひしと抱き合う場面では、ついつい涙が出てしまうのです。

 最後の乱闘シーンは、『薪ザッポウでの殴り合い』でもないし『峰打ち』でもありません。正真正銘の立ち回りで、阪妻ひとりが大勢の敵をバッタバッタとなぎ倒して行く。決闘の場所に向かう阪妻が、街道を猛スピードで翔けて行く場面は、彼が出演した『血煙高田馬場』からの影響が見られます。『血煙高田馬場』ではドンツクドンドンという太鼓の音がBGMでしたが、『月の出の決斗』では単調なストリングスの音が不安感を高めるのです。つまり、これは真似ですな……。

 『狐の呉れた赤ん坊』をリメイクした勝新にも『月の出の決闘』という映画がありますが、これはどうやら内容が別物のようです。『月の出の決斗』は、ビデオも発売されていないみたいなので、今回はいい機会でした。


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