フレンチドレッシング

1998/05/28 徳間ホール
高校教師と男女生徒の奇妙な同棲生活の顛末……。
映画全体に不思議な色気がある。by K. Hattori


 人気コミック作家、やまだないとの同名作品を、これがデビュー作となる斎藤久志監督の脚色と演出で映画化。高校でいじめられている少年、自殺しかけた彼を引き止めてレイプした教師、少年の同級生の少女の不思議な同居生活を描いている。恋人同士でも疑似家族でもない、ふわふわとした関係性だけで、物語をずっと引っ張って行くへんな映画。改造銃のエピソードなど、何の意味があるのかよくわからないのですが、結構サスペンスになっています。つまらなくはない、むしろ面白い映画ですが、積極的に「ここが面白い」と言い切れるポイントが見つからない。インディーズの匂いがプンプンします。

 この映画の中では、中心となる人物3人のセクシャリティが微妙に倒錯しています。少年風の少女、少女のような少年、性的不能を感じさせる教師。この教師は校舎の屋上で少年を犯してしまう元気があるくせに、家ではこつこつ改造銃を作っているオタクで、少女を相手にしても普通のセックスをしない。少年と少女も、裸でベッドにねそべりながら、互いの身体には触れようとしない。彼らは共に同じ男と交わったという共通項だけで、共犯者のように語り合い、顔を見合わせてニヤリと笑う。セックスと改造銃という秘密を共有しながら、彼らは奇妙な共同体を作っている仲間なのです。

 少年を演じる櫻田宗久のデビュー作という点がウリのようですが、登場人物の中ではむしろ、少女を演じた唯野未歩子が魅力的でした。短髪で胸も小さくて、手足もひょいろひょろしている少年風の姿ですが、彼女が登場するだけで、画面がやけに色っぽく感じられるのです。彼女が教師の家に来て、教師から「仲間に入れてほしいのか?」と聞かれると、黙ってうなずいて服を脱ぎはじめる。少女の様子に「ふん、変態だな」と素っ気なく答え、そのまま家の中に迎え入れる教師。このへんの呼吸が、抜群に面白かったし、ドキドキしました。

 セックスを重要なモチーフにした映画なのに、映画の中には直接的なベッドシーンやヌードがほとんど登場しません。僕は唯野未歩子のヌードが拝めるんじゃないかと、息を潜めて画面を見詰めてましたが、スクリーンに映るのは彼女の背中までで、ついに胸すら出てこなかった。櫻田宗久のヌードは何度か出てきますが、阿部寛のヌードも出てきません。こうした「隠す演出」が、映画に濃厚なエロチシズムを生み出している。何でもかんでも、見せればいいというものではないのです。

 この映画には生活のリアリティがまったく存在しません。少年と少女の家庭の様子はまったく描かれていないし、食事を作るシーンも、食べるシーンも、お風呂に入るシーンも出てこない。(買い物のシーンと、食事がテーブルに乗っているシーンはある。)これらは、映画の中から故意に排除されたものでしょう。映画の中には、一切の因果律から解き放たれた、むき出しの人間がいる。でもその人間たちは、どこか孤独で、いつも独りぼっちなのです。ラストシーンがそれを象徴しています。


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