中国女

1998/04/20 メディアボックス試写室
ゴダールが'67年に作った政治的映画は、今観ると政治色なし。
映画の可能性を広げた作品として価値がある。by K. Hattori



 ジャン=リュック・ゴダールが1967年に製作した問題作。バカンス中で大人たちが留守になったアパートに学生たちが集まり、中国の文化大革命に呼応した左翼運動の拠点を作る話……、なのかなぁ。物語の輪郭に曖昧なところがあるので、ストーリーを説明しにくい。もっとも説明したとしても、それが面白い物語だとはとても思えない。この映画には、文化大革命、毛沢東語録、北京放送、ベトナム戦争反対、マルクス・レーニン主義など、'60年代の学生たちを夢中にさせたのであろうアイテムがぎっしりと詰まっている。映画が製作された当時は、これらの事物は目の前にある現実であり、この映画もある種のドキュメンタリーのような迫力があったのでしょう。事実この映画の製作直後、フランスでは国家を揺るがす「五月革命」が起こっている。

 しかし今この映画を観ると、ここに描かれている過剰なまでの中国へのシンパシーや、ベトナムへの思い入れが滑稽に見えてしまう。30年後の我々は、文化大革命のグロテスクな実体も、ベトナムの行く末も、共産主義の破綻も、すべて知っているからです。この映画の中で、学生たちの純粋すぎる運動を描くために用いているトリッキーな映像表現は、当時のゴダールとしては親しみや批判的姿勢の現われだったのかもしれませ。しかし今や、その中身がすっぽ抜けて、残ったのはキッチュな残骸だけです。現在の僕には、'60年代の学生運動と自分たちの今の生活との間に、何の連続性も感じられない。

 文化大革命は中国の内部だけの問題ではなく、当時は世界的な広がりを持つ、ひとつの思想運動だと考えられていた。紅衛兵たちが手に手に振りかざした毛沢東語録は、中国国内だけではなく、外国語にも翻訳されて世界中で読まれていた。日本でも進歩的文化人や大マスコミが文化大革命を熱狂的に支持し、今考えると馬鹿みたいな記事を平気で垂れ流していたものです。こうした文化大革命の熱に浮かされ、それを自国に持ち帰って自己流にアレンジして実施したのが、つい先日亡くなったカンボジアのポル・ポトです。彼は自国民の大量虐殺を引き起こした。当時のマスコミには現れませんでしたが、中国でも文革で多くの人々が命を奪われた。そうした事実を知らないまま、『中国女』に登場する'60年代フランスの学生たちは、アパートの部屋に毛沢東語録を積み上げて、それが自分たちの思想的先鋭性だと思っている。今から観ると、この映画がいかに滑稽なことか……。

 『中国女』は30年という時間を経て、思想性や政治性が見事なまでに骨抜きにされてしまった映画です。しかしそれだからこそ、この映画に満ちている実験精神が、純粋な形で観客の目に触れることになる。今ではCFやテレビドラマでも普通に見られる手法の幾つかは、30年前にゴダールが開発したものなのです。こうしたテクニックが野暮ったく見える部分もありますが、今観ても十分新しく思える部分もたくさんある。特別面白い映画だとは思えないけど、勉強のために観るのも悪くない。

(原題:LA CHINOISE)



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