いつものように

1998/04/08 ユニジャパン試写室
新人けんもち聡監督のデビュー作。25歳の青春映画です。
長回しの多用がやや間延びした印象。by K. Hattori



 まぎれもなく平成の「今」を生きている25歳の青年たち3人の姿を、正面から撮り上げた意欲作。僕は本当に面白い映画に時代は関係ないと思ってますが、映画を「企画する」にあたっては、時代を切り離せないと考えてます。その時代にベストの企画が、内容の良さから永遠の命を得ることもあるだろうし、短命に終わることもあるでしょう。でも企画が時代性を無視してしまうと、その映画は(少なくとも同時代人にとって)ピンとこない失敗作になってしまう。『いつものように』は、時代の気分としては、かなりタイミングのいい映画です。ただし、技術的には「う〜ん」とうなってしまうような場面も多い。描きたい主題はなんとなくわかるんだけど、その方法としてこれがベストだったのかは疑問です。

 この映画の主人公たちは、バイク便のバイトとヤクザの手下として麻薬の運び屋をやることの間に、何の違いも見出そうとしない人たちです。一応、麻薬の運び屋が法的に許されないことだという認識はある。でも、法的に許されないことが、すなわち「してはいけないこと」だという認識はないようです。ここでは、社会的な倫理観が完全に壊れちゃってる。でもその一方で、彼らは自分たちを使うヤクザ相手にはていねいな敬語を使い「井原さん(麻薬売買の元締め)の仕事はまじめにやろうよ」「明日は早起きだから夜遊びはこのへんで」なんて、へんにモラリスティックなんだよね。彼らはチャランポランでもデタラメでもはない。行動規準の置き方が、社会の「常識」とすべきところや、今までの価値観からはずれているのです。僕はそんな描写が面白く感じられました。間違いなく「今の映画」です。

 社会的モラルには無関心だが仲間内のモラルには従順な若者たちというモチーフは、庵野秀明の『ラブ&ポップ』でも描かれていたと思う。やはり青春映画では、「モラルに従順な若者たち」が必要なんだよね。それがどんなモラルであれ、ある規範にしたがって行動する人間を見ると、我々観客は安心するようです。もっとも、規範なしに行動していては狂人ですが……。

 男ふたりの物語に、途中から女性がひとり入って、映画は俄然面白くなります。ただし、この女性に対する男たちのアプローチのしかたがもどかしく、そのあたりも「今の映画」になっているのかもしれません。この女性も含め、主要登場人物3人のキャラクターはじつにうまく描かれています。これで全体にもう少し、タイトな構成になっていればよかったんですが……。

 この映画の印象を一言でいうと、「だらだらした映画」ということになると思う。長回しを多用したり、当然カットを割るべきところを割らずにいるのは、全体にわざとだらだらした映画を作ろうとしたからだと推察します。映画に登場するのは「だらだらした若者たち」なので、こうした手法も悪くはない。でも、映画全体をだらだらさせなくても、モチーフのだらけた雰囲気は出せると思うんだけどなぁ。もったいないです。


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