愛の破片

1998/04/06 シネセゾン試写室
熱心なオペラファンには嬉し泣きしそうな内容か……。
僕の守備範囲ではない映画でした。by K. Hattori



 風邪気味で体調は最悪。この日はこの1本だけで、他に観る予定だった映画はパスしてしまったほど。この映画も2時間超の長丁場で、しかも内容がオペラのドキュメンタリーという、僕にはまったく馴染みのないものなので、申し訳ないけど少しウトウトしてしまった。オペラファンというのは、普通の音楽ファンやクラシック音楽のファンとは少し違うところに分布する種族で、僕にはあまり縁のない世界なんだよね。この映画の監督ヴェルナー・シュレーターは、オペラの演出家もしているという、それはそれは熱心なオペラファン。僕はこの映画を観て「なるほど、オペラファンというのはこういうものであるか……」ということはよくわかりましたが、彼の愛するオペラそのものの魅力には到達できなかった。

 映画の形式としては、オペラ歌手を追ったドキュメンタリーと、いわゆるオペラ作品の映画化の中間にあるもの。形として一番近い映画は、『アル・パチーノのリチャードを探して』だと思う。映画製作の過程すら、映画の中に取り込んで、どこまでが作り物で、どこからが事実の記録なのか不明確なものを作り出そうとしている。『リチャードを探して』が、俳優アル・パチーノの「リチャード三世論」であったように、この映画も、監督シュレーターの「オペラ論」になっているのでしょう。

 この映画で取り上げられているのは、音楽劇としての「オペラ」ではなく、オペラの花形である数々の歌手たちです。監督は自分にとってのアイドルである往年の名歌手や、現役の歌手たちを文字どおり一堂に集め(撮影は修道院で行われている)、古今東西のオペラの名曲を次々と歌わせる。物語の文脈から抜き出された「歌」だけを見せているので、熱心なオペラファンでない限り、その曲がどういった場面で誰によって歌われているものかを知るのは難しいでしょう。僕も何曲か知っている曲が登場したものの、もともとのオペラを見たことがないから、それがどんな意味を持つ曲なのかはさっぱりわからなかった。逆にオペラファンがこの映画を観ると、監督の選曲のセンスや曲の解釈に感心するところがあるかもしれません。そういう意味では、この映画を観るには、かなりの教養が必要だと思います。

 僕は作曲家のクルト・ワイルが好きなので、映画の中でブレヒトと共作の「ナナの歌」「ユーカリ」の2曲が使われているのが嬉しかった。特にトゥルデリーゼ・シュミットが歌う「ナナの歌」はすごい迫力。この曲はいわゆるクラシカルな歌唱法だけでなく、歌手の地声や叫び声も織り交ぜた曲で、歌っているシュミットも腕をぶんぶん振り回したりして、かなり芝居ががってました。途中で間違えたりするのも御愛敬です。

 映画のクライマックスは、引退した歌手アニタ・チェルケッティが昔の自分の録音を聴きながら一緒に歌うところでしょう。この場面には、監督のチェルケッティに対する敬意があふれている。オペラ歌手はシュレーター監督にとって、紛れもなく「アイドル歌手」なのです。

(原題:POUSSIERES D'AMOUR)



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