「A」

1998/03/12 シネカノン試写室
オウム真理教の荒木浩広報副部長を取材したドキュメンタリー。
現代日本の「へんな部分」が活写されている。by K. Hattori



 地下鉄サリン事件などで悪名高いオウム真理教を、長期に渡って内部から取材したドキュメンタリー。タイトルの「A」とは、オウム(AUM)真理教の「A」であり、この映画の中心人物である荒木浩広報部副部長の頭文字「A」であり、新聞報道で匿名を表わす「A」でもある。描かれているのは、オウム事件で教団幹部があらかた逮捕され、各地の道場や施設が次々と閉鎖され、裁判の進展に合せて集中砲火のごときオウム・バッシング報道が日本中を席巻し、オウムに対する破防法適応の是非が議論されていた時期。世間一般からは「ここまでオウムの罪が明らかなのに、なぜ信者は教団を離れないのであろうか?」「教団に残った信者たちは、道義的な責任をどう取るつもりなのか?」と叫ばれていた頃です。(これは今でも叫ばれてますが……。)

 この映画はオウムの立場を弁護するわけでも擁護するわけでもなく、ひたすらオウムに対して客観的な取材を心がけているように見える。あらかじめ特定の視点から、彼らを「断罪」しようとか、何かを「暴露しよう」としているわけではない。ひたすら真っ直ぐ、レンズを通して「事実」を記録して行こうとしている。こうした中立の立場があったからこそ、この映画の製作者たちは、オウム真理教の内部をここまで克明に記録できたのだろう。要するに、彼らに「信用された」のだ。製作者たちはオウムを敵視することはないが、オウムのシンパや理解者でもない。彼らの行動に疑問があれば鋭い質問が飛ぶし、オウムの教義や教祖の言動についても、揶揄すれすれの言葉が飛び交う。「教祖が湖の側を歩くと魚が飛び跳ね、鳥たちが集まってきた」と話す信者に、「それはパン屑でも撒いてたんじゃないの?」と言ったり、足の傷口を膿ませて「カルマが落ちている」と述べる荒木に「それは水虫のひどいのだと思います」と言う場面は面白い。

 この映画最大のクライマックスは、公安警察が路上で信者を不当逮捕する場面だろう。数人で進路を塞ぎながら歩き、最後は公務執行妨害と暴行の現行犯で逮捕するのだが、その一部始終をカメラが捉えている。結局この撮影があったために、逮捕された信者は釈放されるのだが、そこにカメラがなかったら、逮捕された信者は起訴されて有罪になっていただろう。この場面は「映像が捉えた真実」の持つ政治的なパワーを感じさせると共に、いざとなったら誰でも自由に逮捕できる警察の恐さを思い知らされたシーンだと思う。

 2時間15分の長い映画ですが、全編ビデオ撮り。試写室でも、大型の液晶プロジェクターでビデオ上映してました。長い映画なので、盛り込まれている内容も多岐に渡り、いろいろと考えさせられることは多い。一番感じたのは、オウムは良かれ悪しかれ、現代日本の正確な写し絵だということ。それはオウムの内部にいる人間もそうだし、外部から批判する人間も同じです。オウムもヘンだけど、オウムを批判する連中も同じぐらいヘンだよ。もちろん、そこには僕もいるわけだけどね……。


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