Baby Krishna
ベイビー・クリシュナ

1998/03/10 東和映画試写室
ネパール人青年クリシュナと出会ったカルチャーショック。
クリシュナ役のサンジェイがユニーク。by K. Hattori



 京都にある三流大学の考古学研究室で、四流教授の助手をしている冴えない30男と、ネパールからきた根っから明るい青年クリシュナの交流を描いたドラマ。人嫌いになりかけていた30男の鬱積した気持ちは、異文化との遭遇に振り回されながら、少しずつほぐれてゆく……、というお決まりのストーリー展開。物語の語り手である30男のベタベタした口調が嫌いだし、ナレーションを多用した脚本も上手いとは思えない。しかしながら、クリシュナを演じたネパール青年サンジェイの本物の明るさに、映画を観ているこちらまで引きずり回され、いつしか僕はこの映画が好きになってました。

 30男こと佐々木君は、ちょうど僕と同世代という設定なので、彼の置かれている立場や気分はよくわかるような気がしました。自分の回りのことがいろいろ見えてきて、毎日が半分惰性で動いているような感じ。そこにクリシュナという小型台風のような人物が飛び込んできて、惰性で動いていた佐々木は、右に左にと大きく振りまわされる。僕は佐々木のような目に遭うのはゴメンだけど、佐々木は非常に「いい人」で「人がいい」「お人好し」という設定になっているので、クリシュナという存在を許してしまう。この辺りは佐々木の内面告白という形でずっとナレーションが続くのですが、もう少し言葉数を減らせる方法があったような気もするけど……。

 誰かに出会うことで、主人公が内面的成長を遂げるというストーリーは、多くの映画に含まれているテーマです。この映画も、見事にそのパターンを通している。しかしこの映画のユニークなところは、相手の「誰か」は、この出会いを通しても少しも変わらない、変わったようには見えないという点かもしれない。クリシュナも人間だから、落ち込んだり、反省したり、気を遣ったりすることはある。でもそうした事件が、クリシュナの性格そのものを変えてしまうことはない。変わったのは、佐々木の性格であり、佐々木と周囲の関係であり、特に大家の娘ケイコとの関係だったりする。クリシュナは佐々木が変わって行く「触媒」として機能しているだけで、自分自身はこの変化に関わらないのです。

 クリシュナの人物像は、演じているサンジェイをモデルにして、ほぼ「本人のまま」で通しているようです。あの性格は演技で作られたら、かなり白々しくなるだろう。「本人がああなんだからしょうがない……」という部分で、この映画は許されてしまっている部分がある。不思議なことに、「本人のまま」という事実は、映画製作の裏話なんて知らなくても、スクリーンからばんばん伝わってきてしまうのだ。彼は実際にネパールで日本人観光客の女の子をナンパしまくり、時々日本に来ては現地でナンパした女の子の家を泊まり歩いているのだそうな。うらやましい性格だ……。この映画の問題点は、そんなサンジェイの姿を面白がっているスタッフの気持ち以外に、伝わってくるものがあまりないこと。劇映画としては、もう少しひねりが足りないと思う。


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