ハムレット

1998/02/25 みゆき座
平日昼間なのに映画館は超満員。それだけでビックリ!
2,500円の価値はある。でも長い。by K. Hattori



 ケネス・ブラナー監督のシェイクスピア映画は過去にも何本か撮られているが、この『ハムレット』はその決定版とも言うべき大作。途中に休憩をはさんだ本編だけで4時間を超える上映時間。予告編や休憩時間を入れると、5時間近く拘束されるわけですが、はたしてこれは長いか短いか? 脚本はシェイクスピアの戯曲をノーカットで映画用に脚色したもので、「この映画はノーカットだ!」と決めた時点で、この上映時間は決定済みなのだ。しかし結論から言えば、僕はこれを「映画としては長すぎる」と思うし、「映画としては冗長な部分や退屈な部分が多すぎる」と思う。この映画を「シェイクスピア劇の忠実な映画化」だという点で評価するなら別ですが、「映画」としては無駄な台詞が多すぎるのです。

 僕がこの映画を退屈だと思った最大の理由は、役者の姿を絵で見せれば十分にわかる場面で、台詞を使って長々と心情を語るからです。人間の喜怒哀楽は、言葉よりもまず表情や動作に現われるものだと思う。舞台劇では登場人物に「独白」させないと心情が伝わらない場面でも、映画なら、役者の目の表情ひとつで心情を観客に伝えられる。その効果は、百万言の台詞に勝ります。この映画では原作戯曲の台詞をノーカットで使用しているため、台詞と役者の芝居とで、心情描写が二重になっている場面が多い。それがくどい印象を与えるし、時間の無駄にも感じられるのです。

 もちろん人間は心に思ったことを全部表情に表わすほど単純ではなく、台詞が本音と裏腹だったり、表情が台詞を裏切ったりすることもある。悲しいときに笑ったり、怒ったときに無理にくつろいだ表情をしてみせたりするのが人間です。でもこの『ハムレット』の中には、そうした言行と心情の不一致が効果的に使われている場面が少ないように思います。役者の表情も動作も、すべて台詞を補強するための道具になったり、逆に台詞が行動を解説したりしているだけに思える。台詞か芝居かどちらか一方があれば十分に理解できる場面でも、両方が出てくるうっとうしさ。最近テレビのバラエティー番組で、タレントの台詞をいちいちテロップにする手法がしばしば使われて議論を呼んでいますが、この『ハムレット』はそれと同じです。親切といえば親切だけどね。台詞が多い分、字幕を追いかけるのが忙しくてしょうがないことも、この映画が長く感じる一因。この映画に関しては、むしろ日本語吹き替え版の方が楽しめるかもしれません。

 これはたぶんシェイクスピアの原作が持つ力だと思うのですが、オフィリアの埋葬場面は涙が出たし、最後の剣試合の場面も劇的効果にドキドキしました。衣装や装置も豪華だし、入場料分はたっぷり楽しめる映画であることは疑う余地がありません。それにしても、広いみゆき座が平日午前中からの回にも関わらず、ほぼ満席なのには驚きました。「映画料金は高い」「安ければもっと客は増えるはず」と主張している人も多いですが、中身次第では「高くても客は来る」のが現実のようですね。

(原題:HAMLET)



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