ナヌムの家

1998/01/20 東和映画試写室
韓国の元従軍慰安婦たちの現在を描くドキュメンタリー。
誤解をもとに糾弾されても白けるぞ。by K. Hattori



 第二次大戦中、日本軍の慰安婦として働かされ、塗炭の苦しみを舐めた女性たちの現在を描くドキュメンタリー映画。従軍慰安婦については、教科書記述の是非、強制連行の有無や、日本の国家補償の必要性について今も議論が続けられている。僕自身は、慰安婦が強制連行されたとは考えにくいと思うし、ましてや彼女たちに対する国家補償の必要もまったく感じないのだが、この映画は韓国で作られているので、ひたすら「日本政府は謝罪せよ、国家補償せよ、教科書に書いて自国民に教育を徹底せよ!」と糾弾してくる。

 僕は先に続編の『ナヌムの家II』を観ていたので、彼女たちの全員が「慰安所」で働いていたわけではなく、一部は一般の「女郎屋」で働いていたらしいことを知っている。この映画にも自分の働いていた店が「女主人」によって経営されていたことを語る老婆が登場し、「金は彼女が取っていたのかもしれないが、私は知らない」と証言していた。こうした劣悪な環境で強制的に売春をさせられていた彼女たちは本当に気の毒だと思うが、それをひとくくりにして「慰安所」と呼んでしまっていいものなのかは大いに疑問だ。彼女たちは「娼婦」ではあるが、「慰安婦」ではない。それを混同させてしまう韓国側の事情もわかるが、日本人までその混同に付き合う必要はないんだけどなぁ。そうするのが良心的な態度だとされているのかもしれないけど……。

 製作側や監督は「これは日本を糾弾する映画ではなく、元慰安婦であるハルモニたちの現在を描くドキュメンタリーだ」と主張する。しかし同じ意図で製作された『ナヌムの家II』のゆったりとした解放感に比べると、この1作目は何とギスギスした糾弾映画であることか。もっともこの映画のメッセージは、ほとんどが韓国国内に向けられていることには、もっと注目してもいい。運動を繰り広げるハルモニ(嫌な呼び方だけど、元慰安婦とひとくくりにもできないので便宜的に……)やその支援者たちの呼び掛けは、この問題に無関心な韓国世論を盛り上げるためのものなのだ。この映画には、日本大使館前で続けられるほんの数人の水曜デモや、それをうっとうしそうな目で眺める韓国人たちの姿、鳴り物入りで開催したシンポジウムの客席が閑散としている様子なども、隠さずに映し出されている。この問題に対する韓国側の世論というものは、少なくともこの映画の製作時点で、さほど盛り上がっていたとは言えないのだろう。

 この映画では韓国にいる元慰安婦だけでなく、日本の敗退後、中国にとり残された慰安婦たちのその後も描かれている。当時は売春窟だった一角が、現在も普通の住宅として使用されている様子は、ちょっとショッキングです。ただここでも、「日本軍は自分たちだけ逃げて、慰安婦を置き去りにした」と一方的に攻められてもちょとね。当時は中国にいた多くの民間人が、彼女たちと同じように置き去りにされ、命からがら逃げてきたわけだし。ま、彼女たちにそんなこと説明しても無駄か……。


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