フェイス/オフ

1997/11/04 ブエナ・ビスタ試写室
胸のすく痛快なアクションに加えて、人間の苦しみや悲しみが描かれた傑作。
アクションの迫力にドラマ部分がまったく負けていない。by K. Hattori



 華麗なガンアクションが冴え渡る、血沸き肉踊る傑作アクション映画。細かい部分に疑問点はある。設定に無理もある。だがそうした欠点をアクションの勢いで次々乗り切っていくのは見事だし、有無を言わさぬアクション攻勢の前に、観客としてはグウの音も出ない。囮捜査のために凶悪犯の顔を移植したFBI捜査官が、凶悪犯に逆に自分の顔を奪われ、捜査官としての地位も、家族も、何もかも失うという物語。窮地に立った主人公は、どうやって敵を倒し、自らの顔を取り戻すことができるのか。主演のジョン・トラボルタとニコラス・ケイジが、互いに顔と人格を入れ替えた難しい役柄を熱演。中でもケイジの芝居はアカデミー賞ものですよ!

 FBI組織内にある秘密医療センターという、どんな国家陰謀論者も考え付かなかったアイデア。犯罪者と捜査官が互いの顔を入れ替えて、互いに殺し合いをするというストーリー。普通はこれだけで、映画が1本できます。でも『フェイス/オフ』という映画にとって、こうしたアイデアは映画を成立させる種火に過ぎない。この映画で語られるべきは、全編を埋め尽くすアクションシーンの数々です。スローモーションをふんだんに使ったスタイリッシュな映像が、活劇のダイナミズムを極限にまで研ぎ澄まし、観る者に感動すら与えます。

 アクションでスローモーションを使う監督としては、サム・ペキンパーが有名ですが、ペキンパーがスローモーションで描くのは、銃撃によって死んで行く者たちの姿だった。でもジョン・ウーは、人の死にほとんど興味を示さない。彼がスローモーションでたっぷりと描いてみせるのは、銃を乱射しながら一匹の獣と化した男たちの姿です。計算され尽くしたアクション演出によって、戦いの場での男たちの動作は無駄を削ぎ落とされ、全身がしなやかなムチのように優雅な曲線を描いてジャンプする。両手に持った銃は、男の叫びと同時に火を放ち、弾を撃ち尽くしたあとの弾装交換さえ優雅に見えます。

 この映画では「銃を撃つ」という行為そのものが大切なのであって、その結果生れる勝ち負けや生き死にはどうでもいいことなのです。だからこそ、あれだけ雨のように銃弾が降り注ぐ中、主人公ふたりは傷を受けることなく最後の最後まで生き残ることができる。銃は目的遂行のための手段ではなく、銃を撃つこと自体が目的になっているのです。もし銃が何かの目的のためにあるのだとすれば、主人公たちの銃がいつまでも互いの身体に傷ひとつ与えられないのは「大間抜け」ということになってしまう。でもこの映画に、そんな批判はあたりません。

 この映画は、ひたすら銃弾と爆弾だけが炸裂する、味気ないアクション大作ではありません。オープニングで、主人公の息子が殺される場面の、胸を押しつぶされるような苦悶。知らず知らずのうちに、息子の仇に身を委ねてしまった主人公の妻の苦悩と、その告白を聞く主人公の悲しみ。そんな生身の人間が持つ心の痛みがたっぷりと描かれているから、この映画は素晴らしいのです。


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