プライベート・パーツ

1997/10/29 UIP試写室
アメリカの人気DJ、ハワード・スターンの自伝を本人主演で映画化。
スターンの悪ガキぶりが清々しい印象を残す。by K. Hattori



 アメリカの人気DJ、ハワード・スターンの自伝を、ハワード・スターン自身の主演で描く、何とも図々しい自作自伝自演映画。ラジオ番組の中で私生活を暴露しまくり、卑猥な言葉を連発して物議をかもしているスターンは、熱狂的なファンを持つ一方で、多くの人に嫌われているタレントでもある。でも本人はそんなことどこ吹く風。「受ければいい」「受けたい!」「リスナーを面白がらせたい!!」という果敢なサービス精神で、放送局の幹部や、連邦通信委員会(FCC)と対決する。

 この映画が爽やかな印象を与えるのは、主人公が放送を私物化し、既存の権威や倫理コードと徹底的に戦いながら、それを「表現の自由」だの「権威への反逆」だのと偉ぶらないからです。つい先日公開された『ラリー・フリント』の、大上段に振りかぶったメッセージ性に比べると、『プライベート・パーツ』には何の思想もメッセージも見えない。でもこうした「何もない」ところが、じつに今風でいいんです。ちなみに『ラリー・フリント』の製作者はオリバー・ストーン。『プライベート・パーツ』の製作者はアイバン・ライトマンです。製作者が入れ替わっていたら、それぞれの映画はまた違った様子を見せたかもしれませんね。

 徹底的に人に嫌われ、放送局の抗議電話は鳴りっぱなし。職場では嫌がらせを受け、露骨ないびり出し戦術が行われている。それでもスターンが自分のスタイルを変えないのは、何らかの思想に裏付けられてのことではない。そこにあるのは、単なる「男の意地」です。局の上司から「プッシーとコックは使用禁止だ」と通告された直後、クイズと称してこれらの語を連発させる場面に、彼の反逆精神がよく表れてます。要するに彼は、大人に反抗してみせる悪ガキと同じなのです。相手がああ言えばこう切り返す。とにかく、人の言いなりには絶対にならない。これが普通の映画なら、主人公がなぜそこまで強く生きられるのか、エピソードできちんと説明しなければならないところでしょう。ところがそこは本人が出演している強みです。「彼はなぜそうしたか?」を説明するより、「だって現にこうして本人もいるわけだし」という部分で物語を乗り切って行ってしまう。これは劇映画としてはかなりズルい手だと思いますけど、一番手っ取り早いし合理的な方法ではあります。それに、本人が出演していると面白いしね……。

 映画にはハワード・スターンが普段一緒に仕事をしている仲間たちも実名で登場し、自分自身の役を気持ちよさそうに演じています。本人たちが普段の仕事と同じことをやっているから当たり前なんですが、スタジオの中の風景などは現物そのものという臨場感がある。

 「芸の上では目茶苦茶だけど、根は真面目な愛妻家」という、伝記映画の基本パターンを見事に踏襲している物語が、一体どこまで本当なのかは疑問です。しかし、こうした怪しげな部分も含めて、とても面白く観ることができた映画です。何度も大声で笑ってしまいました。


ホームページ
ホームページへ