かっ鳶五郎

1997/09/29 KSS試写室
浅草の名物鳶・五郎と、幼なじみのやくざ組長の対立と和解。
人気マンガを的場浩司主演で映画化。by K. Hattori



 週刊漫画ゴラク増刊ネクスターに連載されている、本沢たつやの同名コミックを映画化。東京浅草で昔気質の鳶として男を売る五郎が、幼なじみのやくざやその舎弟と衝突しながら、周りの人たちを幸せにして行くという話。はっきり言って、すごくつまらない。話もデタラメだし、芝居もレベルが低すぎる。キャスティングがそもそも駄目なんだよなぁ……。五郎役はそもそも的場浩司の柄じゃないんだけど、的場浩司にしたのなら、周りをもう少しきちんと埋めていかなきゃならない。的場浩司は芝居が下手な役者じゃないけど、五郎というキャラクターはマンガそのものだから、演じている的場もマンガチックに見えてくる。周囲をリアルな人間像で埋めてゆけば、五郎のハチャメチャぶりがアクセントにもなるし、物語を引っ張って行くエネルギーにもなる。この映画では五郎以外の人物も全員マンガになってるから、映画全体が現実とかい離したマンガに終わってしまった。

 仕事を請け負った月組本部ビルが、博打の借金のかたに素人から巻き上げた物だと知って、主人公が怒り狂う話があります。でもこの怒りは欺瞞だと思う。やくざの親分に向かって「俺には汚い仕事の片棒を担がせるな」と言うのは、甘ったれた物言いなんじゃないだろうか。五郎はビルが素人から巻き上げた物だから怒っているみたいだけど、やくざが別の場所で素人から巻き上げた金を使って、正規に購入した物件であれば五郎は文句を言わないんだろうか。やくざなんてどこかで素人を泣かせて甘い汁を吸っているはず。五郎の言い分は、「俺の目の前では汚いことをするな」「よそではどんな悪いことをしてもかまわない」としか聞こえない。

 やくざでありながら、幼なじみの五郎に対して誠実であろうとする月組組長の態度もよくわからない。「いい人」になりたいなら、やくざ稼業から足を洗えばいいのに、そういう選択肢は彼の頭にはないようです。組長は五郎に「お前は浅草の昼を照らす太陽で、俺は夜を照らす月だ」と言いますが、ふたりの人物像はそうした対称形に作られていない。主軸になるふたりの人間の造形が中途半端だから、映画全体が生ぬるくなるのです。五郎と組長の共通基盤と対立点を最初に明確にしておき、事件を通してふたりが歩み寄るべき点は歩み寄り、譲れない点は譲れない点として尊重するようにするのが、物語作りのセオリーなんじゃないだろうか。

 人物像としては、月組の幹部組員を演じていた松原一平と大西結花の関係が面白かった。松原の組長に対する同性愛的な思慕と、そんな松原の気持ちを知りつつ松原を愛する大西の想いが、隠された三角関係としてドラマに起伏を生み出している。惜しいのは、月組組長を演じた三浦浩一に、その関係を納得させるだけの「色気」がないこと。松原が「オヤジ〜」と自分の気持ちを切々と訴えても、そんな気持ちに応えられるほどの器量を三浦組長は持ち合わせていないだろう。松原と大西の関係がかなり面白かっただけに、このキャスティングは惜しい。


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