クワイエット・ルーム

1997/08/18 TCC試写室
両親の不仲に心を痛める少女の物語を、リアルに綴った小品。
僕は両親の立場に同情して泣いてしまった。by K. Hattori



 観ている内にポロポロ涙が出てしかたなかった。両親の不仲に心を痛め、それに抵抗するために文字どおり「無言の抗議」をする7歳の少女の姿に同情したこともあるが、我が子の気持ちを推し量りながら、それをどうしていいのかわからないでいる両親の姿にも感情移入してしまった。元どおり仲のよい一家3人の暮らしに戻れるものなら戻したい。でも、それはとても難しい。一度こじれてしまった夫婦関係は、なかなか元に戻らないからだ。パパもママも、少女を心から愛しているのは本当だけど、少女にたいする愛情と、夫婦間の愛情とはまた別の話。冷え切ってしまった夫婦関係に温かさを取り戻そうといくらもがいても、思惑通りに気持ちは動かない。

 口を開かなくなった少女というモチーフは、ジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』を思い出させます。『ピアノ・レッスン』の主人公がなぜ口を開かなくなったのかは、映画の中で明確にされていませんが、『クワイエット・ルーム』の少女が口をきかない理由ははっきりしている。彼女は両親の気持ちが離れ離れになっていることを知った3歳の時から、それに抗議して口をきかなくなった。学校では友人たちと普通に会話をしているのですが、家に帰るとぴったりと口を閉じてしまう。少女の言葉は切実なモノローグとして映画の中に満ちていますが、こうした少女の中の秘められた言葉は、両親には届かない。少女の真意をはかりきれないまま、両親は毎日のように喧嘩をしている。

 少女が自分の描いた絵を母親に見せることで、ようやく彼女の気持ちが両親のもとに届く。この場面は切なくて痛ましくて、観ていて思わず涙が出た。この一件で一度は仲がよくなったように見えた両親だが、しばらくするとまた喧嘩の毎日に逆戻り。ドア越しに聞こえてくる喧嘩の物音に我慢できず、耳をふさいで「やめて!」と叫んでも、その叫び声は喧嘩に熱中している両親には届かない。あまりにも残酷な日常。観ている僕は、胸が押しつぶされそうになってしまった。

 少女はタンスの中に隠れて外の様子をうかがう。いつまでも帰らぬ少女を心配して、両親はそれまでの自分たちの態度を深く反省する。少女がタンスの中から発見され、家族3人が硬く抱き合う場面は感動的だが、これでめでたしめでたしにはならない。この直後に、両親が出した結論は夫婦の別居。夫婦関係を曖昧なままにしていた両親にとっては一歩前進だが、少女にとって、これほどの裏切りはない。このくだりは、両親の少女にたいする説明と少女の内面の声との掛け合いが辛辣。ただし、両親の立場や気持ちも斟酌できる構成になっているだけに、この場面は二重に辛い場面に思えた。

 家族の危機という素材を、少女の一人称の視点で切り取った映画ですが、単純に「家族は仲良く」といったメッセージにはなっていない。子供の痛みはもちろん、両親の痛みもダイレクトに伝わってくる誠実な映画です。


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