バットマン&ロビン
Mr. フリーズの逆襲

1997/06/17 丸の内ピカデリー1
(完成披露試写会)
予告編ではバットマンの影が薄かったけど、本編ではもっと薄いぞ。
バットマン役は3代目のジョージ・クルーニー。by K. Hattori



 『バットマン』シリーズからティム・バートンが消えました。『バットマン』『バットマン・リターンズ』では監督を務め、監督をジョエル・シュマッカーに譲った『バットマン・フォーエヴァー』でも製作総指揮に名前の残っていたバートンですが、本作ではついに完全撤退です。バートンの手を離れたバットマンは、ただの正義の味方になってしまった。シリーズ中では『バットマン・リターンズ』を最も愛している僕から観ると、今回の映画はかなり物足りないものになってしまいました。

 バートンのバットマンは、大富豪でありながら特異なコスチュームを身にまとい、夜な夜なゴッサムシティーを徘徊する変人ぶりが、ある種の共感と哀れみとを伴って描かれていたと思う。バットマンは自分がコスチュームプレイに興じる変態の独身中年男だということをある程度自覚しているからこそ、ペンギンやキャットウーマンという異形の怪人たちに一定の共感を覚えるわけです。彼は自分の中にある衝動に駆られてバットマンに変身しますが、それがすごく不健全であることに、彼は気がついているのです。そのコンプレックスが彼を蝕み、女性との関係の中にも冷たい陰を落とす。

 前回の『フォーエヴァー』までは、そうしたバットマンの苦悩が多少は残っていたんですが、今回のジョージ・クルーニーからはバットマン=ブルース・ウェインの苦しみが伝わってきません。そもそも、今回のバットマンは悩んでないのです。彼は自分が正義の味方であることが正しいことであると考えるようになっている。相棒のロビンや、新しい仲間であるバットガールのような若者たちを、立派な正義の味方に仕立てることこそが正しい道だと考えている。これはバートン版のバットマンから見ると、とんでもないことです。あろうことか、今度のバットマンには1年も続いている美しい恋人がいる。この女はそろそろ結婚したいらしいのですが、生意気にもブルース・ウェインは彼女の願いを軽くあしらったりするのです。こんなバットマン、僕は好きになれない。

 バットマンが自分自身のアイデンティティを「正義の味方」であると規定してしまった結果、バットマンことブルース・ウェイン、ロビンことディック・グレイソン、執事のアルフレッド、その姪のバーバラことバットガールなどが、すごく小さな自閉的世界の中に縮こまってしまった。前はバットマンの苦悩を通して僕らと彼の気持ちはつながっていたのに、心身ともに正義の味方になったバットマンに、僕はどう感情移入すればいいのだろう。

 ジョエル・シューマッカー監督が活劇を苦手としていることは、『評決の時』の演出でも十分にわかっていたこと。今回も相変わらず活劇にリズム感がなく、大掛かりなセットも命懸けのスタントも、あまり効果を生み出していない。登場人物たち全員がとてつもなく馬鹿なことをやっているのに、それを小利口に小さくまとめようとするのは欠点。馬鹿になれないインテリに、バットマンを撮らせてはいけないんだけどなぁ……。


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