變臉<へんめん>
この櫂に手をそえて

1997/06/08 シャンゼリゼ
老芸人と彼の跡取りの孫息子として引き取られた少女の物語。
子役の素晴らしさにはため息が出る。by K. Hattori



 狗娃(クーワー)を演じた子役・周任瑩(チョウ・レンイン)が素晴らしい。人身売買窟で変面王を真っ直ぐに見詰める目。変面王に捨てられまいと追いすがる時、全身で恐怖と絶望と悲しみを表現する様子。変面王のもとで曲芸の修業に打ち込み、身の回りの世話をし、かいがいしく働いている健気な姿。盗んだ酒を返しに行った時の、得意げな表情。自分の不注意で船を焼いてしまったときの、情けなさそうな顔。腹を空かせて芋を盗む辛さ。人さらいにさらわれて、別の子供の飯をひったくって食べるときの表情。どれも忘れられない印象を残す。

 監督の呉天明(ウー・ティエンミン)は、この子役についてこう語っている。「あの子の生い立ちそのものが親の愛を知らずに育っていて、狗娃の設定と似通っていたのです。彼女はそのうえ、四歳のときから雑技団に入って、師匠からたいへん厳しく芸を仕込まれています。体を鞭打たれながら教わっているんですね。ですから、まわりの大人たちの顔色を見るようになり、まわりにたくさん人がいるときは、だれがいちばんの権力者なのかを見極めて行動するというような習性が身についてしまっているのです。そのあたりが、幸せな生活を送っている子役たちとは目つき、表情からして違うんです。彼女の場合いつも目の中に人間にたいする不信感、恐怖感、何かの期待感、愛の飢えなどが現れているのです。ずるさというのもその中に出ています。助けを求める気持ちも出ています。そういう目の色はふつうの子には絶対出せないものです」。(シネ・フロント246号より)

 これだけ存在感のある子役が相手だと、周囲の大人たちはかすんでしまう。物語の終盤で変面王が捕えられ、クーワーがひとりで行動するようになると、それが顕著に感じられた。クーワーが人さらいに捕えられ、そこから逃げ出す場面。クーワーが京劇役者の人観音に助けを求める場面。クライマックスで屋根から飛び降りる場面など、彼女が物語のすべてをさらってしまう。

 この映画の中でこの子と互角に渡り合っているのは、老芸人・変面王を演じた朱旭(チュウ・シュイ)だけだ。変面というのは、衆人環視の路上で、布製の仮面を目にも留まらぬ速さで次々と変えて行く芸だ。朱旭は実際に変面の芸人について1ヶ月間特訓をしたそうだが、付け焼き刃の1ヶ月の芸が、きちんと「この芸一筋幾十年」に見えるのは、彼の「役者としての芸」が変面の芸を補っているからだろう。僕はこの変面という芸を初めて見ましたが、顔を振ったり、手を顔の前で振ったりするだけで、次々と仮面が変化して行くのには驚いた。まさかこんな所でトリック撮影を使っているわけではないだろう。実際にこういう芸があるのでしょうね。びっくり。

 映画の前半は老変面王の視点から物語が語られ、後半はクーワー中心に物語が進む。僕は前半のゆったりしたテンポが好き。後半は物語をドラマチックにするため、無理してお話を作ってしまったような苦しさが見える。ラストはお約束だけど、やっぱり泣けた。いい映画です。


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