八日目

1997/05/31 銀座テアトル西友
家族を失ったビジネスマンと、ダウン症の青年の心の絆を描くロードムービー。
監督は『トト・ザ・ヒーロー』のジャコ・ヴァン・ドルマル。by K. Hattori



 ジョルジュ役のパスカル・デュケンヌが実際にダウン症だという点に、ひっかかりを感じる人は多いと思う。僕もこの点にひっかかった。ダウン症の人間がダウン症の人間を演じることが、「ずるい」とか「いけない」と言うつもりはない。能力さえあれば、障害があろうがなかろうが、映画にどんどん出ればいいのだ。デュケンヌは演技者として、素晴らしい才能に恵まれた人だと思うし、その活躍ぶりに異論を差し挟む余地はない。ダウン症による知的障害のレベルにも程度の差があって、一般の社会の中でごく普通の日常生活を送れる人たちも多い。デュケンヌの存在が、何よりもそれを証明している。

 僕がこの映画でひっかかったのは、ダウン症に対する社会の偏見や差別を描写した場面のいくつかで、この映画がまとっていた「映画的なファンタジー」が、一瞬にして消えてしまう点。例えば靴屋で店員を困らせる場面や、レストランでウェイトレスに振られる場面、ディスコで女性に拒絶される場面などで、この映画は「つくりもの」であることをやめ、現実社会の一断面が生の形で画面に映し出されてしまうように感じた。僕はそこで映画というファンタジーの列車から突き落とされ、瞬時に興醒めしてしまうのです。こうした場面が現れるごとに、僕は改めて気を取り直し、物語に乗り直すために、感情移入の手続きを一からやり直さなければならなかった。

 ダウン症自体が物語のひとつのテーマになっているから、こうしたことはある程度避け難いことなのかもしれない。だが映画の中で笑いや戸惑いの対象が「ジョルジュの言動」ではなく「ダウン症」自体に向うと、「ダウン症」を仲立ちにして、映画の中からパスカル・デュケンヌという俳優だけがひょっこりと浮き上がってしまうのだ。映画の登場人物が「ジョルジュ」ではなく、「ダウン症」に戸惑ったり迷惑そうな顔をすると、まるで彼らがパスカル・デュケンヌという個人に対して戸惑ったり迷惑がったりしているように見えてしまう。こうした感想を持ったのは、僕だけなのかなぁ。

 ダニエル・オートゥイユ演ずる仕事一筋で家族に逃げられたアリーと、無垢なジョルジュが出会い、共に旅するロードムービーです。心に傷を持つアリーは、ジョルジュとの短い交流の中で癒され、別の人間へと生まれかわる。ところがこのアリーのエピソードが、僕にはあまり魅力的に思えないんです。アリーが家族を失った理由も納得できないし、彼が変わって行く過程にも説得力がない。彼の苦しみ、彼の苛立ち、彼の悲しみなどに、素直に感情移入できません。ジョルジュのエピソードの厚みに比べると、アリーのエピソードは薄っぺらでおざなりに感じられました。「仕事人間が家族に捨てられる」という「よくある話」が、「よくある話」のレベルに止まって、アリーというキャラクター個人の物語としてうまく咀嚼できていないような気がします。

 傑作『トト・ザ・ヒーロー』の監督作品にしては、やや期待を裏切るデキでした。ちょっと残念です。


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