野良犬

1997/04/14 並木座
これより面白い刑事ドラマを作れる人が今どれだけいるだろうか?
昭和24年に作られた黒澤屈指の名作だ。by K. Hattori



 昭和24年に封切られた黒澤明の傑作刑事ドラマ。製作から半世紀近く過ぎた今観ても、まったく古びた感じがしない面白さには舌を巻く。焼け跡や闇市などの風景、暗闇にうごめく街娼の群れ、進駐軍のジープ、やけっぱちなアプレ世代、米穀通帳など、当時の風俗を余すところなく伝えながら、風俗描写だけに落ちていない。このプロットやキャラクターは、そのまま平成9年の日本に持ってきても通用するだろう。日本でなくてもいい。アメリカでもヨーロッパでも通用しそうだ。

 新米刑事と老練なベテラン刑事という組み合わせは、刑事ドラマの基本フォーマット。最近でも『セブン』などで踏襲されていた定石通りの人物配置です。新米刑事は捜査の手順などにもまだなれておらず、先輩たちから刑事稼業のイロハを仕込まれる。同時に観客も、警察捜査や犯人の手口について学んで行ける仕組みだ。この映画では、前科者のカード検索、スリの手口、弾丸の鑑定作業、ピストル密売のシステム、刑事が犯人の足取りを追って行く過程などを、つぶさに見ることが出来る。こうした警察内部の描写には当然映画的な誇張や演出もあるのだろうが、どれも「なるほどそうなってるのか」と観客を納得させるリアリティーがある。後年の『天国と地獄』などにも通じるものだろう。

 この映画が単なる刑事ドラマでなく、紛れもなく黒澤明の映画になっているのは、善玉と悪玉、追う側と追われる側を、ひとりの人間のネガとポジとして描いている部分だろう。同じような生い立ち、同じような境遇から出発した二人の復員兵の内、ひとりは刑事になり、ひとりは強盗殺人犯になる。二人を結びつけているのは一丁のピストルだ。捜査の過程で犯人の境遇を知るにつけ、若い刑事の心は揺れ動く。自分もどこかで一歩間違えれば、今頃は強盗犯になっていたかもしれない。刑事は過度に犯人の感情移入して行く。

 こうした人物配置は『姿三四郎』以来一貫して黒澤の映画の中にあったものだが、『野良犬』のそれは特に際立っている。ひとつの完成形と言ってもいいだろう。格闘の末、草むらに横たわる刑事と犯人が、画面の左右に対称的に配置されていることも、それを象徴的に表わしている。対立の中で主人公がもうひとりの自分に出会うという物語は、この後も『椿三十郎』や『天国と地獄』で繰り返し描かれることになる。

 『野良犬』は登場する俳優たちにも注目したい。主演の三船敏郎と志村喬は言うに及ばず、スリ係の老刑事に扮した『三等重役』の河村黎吉、犯人遊佐役の木村功、踊り子ハルミ役の淡路恵子、ハルミの母三好栄子、野球場で逮捕される山本礼三郎、長髪の千秋実など、どれもいい味を出している。

 遊佐から贈られたドレスを着て「楽しいわ!とても楽しいわ。まるで、夢みたい!」と叫ぶ場面は、この映画屈指の名場面でしょう。この時黒澤監督は、「天使のように撮ろうぜ、この場面はな」と言ったそうな。さすが。


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