101
〈ワン・オー・ワン〉

1997/03/20 日劇プラザ
オリジナルのアニメを実写に移し替えた、その努力と志を買いたい。
僕はエンドロールですべてを許してしまうのさ。by K. Hattori



 ディズニーの傑作アニメ『101匹わんちゃん』の実写版リメイク。オリジナル版は、僕が一番最初に劇場で観た記憶のある映画です。昔は『101匹わんちゃん大行進』と言いました。製作されたのは1961年ですから、1966年生まれの僕が観たのはリバイバル公開でしょう。雪の中をダルメシアンの子犬たちが逃げる様子が記憶にありました。子犬が99匹と、親犬が2匹で、合わせて101匹のわんちゃんたちです。

 今回のリメイクは、製作開始のニュースを聞いたときから楽しみにしていました。子犬の毛皮でコートを作ろうとする悪女クルエラ役がグレン・クローズだと聞いて、期待はますます高まりました。劇場で予告編を観て、期待はピークに達したのですが、実際の映画は期待したほどじゃなかった。映画において事前の期待が裏切られるのはよくあることですが、今回の落胆は大きかった。

 たぶん製作する側も悩んだと思うのですが、動物たちに人間の言葉をしゃべらせないという演出が、はたして正解だったのかどうか疑問です。小さな牧羊豚の映画『ベイブ』で、動物たちに生身の人間の言葉をしゃべらせる技術が今はあるんです。それと同じことを、なぜ『101』ではやらなかったのだろうか。どうせ話はファンタジーなんですから、やせ我慢せずにしゃべらせてしまった方が、シンプルでわかりやすかったんじゃないだろうか。そう思うこと甚だしかったのが、ロンドン中の犬たちが協力して悪者たちを追跡する一連の場面です。

 犬が遠くから聞こえてくる遠吠えに合わせて吠えるのは、犬を飼っている人なら皆知っていること。オリジナルのアニメを観ると、見慣れた遠吠えの連鎖が「犬の緊急連絡網」に思えてくる。今回の実写版ではその場面を、ほぼ丸ごと同じようにコピーしていますが、伝令の犬が仲間たちに状況を説明する場面で言葉が使えないため、犬にパントマイムをさせてしまった。これは犬の芸が見事であればあるほど、むしろ不自然。僕は犬の芸には感心しましたが、演出としては失敗だと思いました。

 脚本にも大きな疑問がひとつある。クルエラ・デ・ビルを毛皮メーカーの社長という設定にしたのは面白いと思うけれど、犬の飼い主の女性がそこでデザイナーとして働いているのはひっかかる。子犬の毛皮でコートを作ろうとするクルエラは確かにひどい女だけれど、他の動物の毛皮ならまったく問題ないのかな。僕は毛皮に絶対反対する動物愛護主義者ではないけれど、「犬はだめだけど、他の動物ならいい」と言わんばかりの今回の設定には、大きな声で異議を唱えておきたい。

 いろいろと内容面で疑問もあるし、そんなに面白い映画だとも思えなかったのですが、製作側のオリジナル版に対する最低限の仁義と敬意に免じて許してしまう。エンドロールで「町のクルエラ」が流れてきたときは、歓喜のあまり思わず「おお!」と声を出してしまったぞ。わかってるよなぁ。松竹版『フランダースの犬』のスタッフは、彼らの爪の垢でも煎じて飲みなさい。


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