ヘルメス
愛は風の如く

1997/03/14 東映第一試写室(試写会)
原作は幸福の科学の大川隆法。曰くこれこそギリシャ神話の真実だとか。
話はともかくとしてキャラクターの造形が薄っぺらすぎる。by K. Hattori



 新興宗教団体・幸福の科学(正式には幸福の科学出版)が製作した劇場映画第2弾。前作『ノストラダムス戦慄の啓示』は特撮やCGを駆使した劇映画だったが、今回はアニメーションになっている。登場するのは、ヘルメス、アフロディーテ、ミノス王、ミノタウロス、テセウス、アリアドネなどギリシャ神話風だが、内容はかなり脚色してある。もっとも製作側はこの映画こそが「実話」「歴史」であり、ギリシャ神話はそれに後世の人間の手が加えられた結果だと主張しています。

 残された資料も遺跡も存在しない紀元前2300年頃の出来事を、なぜ「これぞ真実」と言い切れるのかは謎ですが、それは宗教ですからあまり詮索しても仕方がない。風俗考証などに疑問を差し挟む余地はあるのかもしれないけれど、僕はその道の専門家ではないのでコメントしません。ちなみに僕の手元の歴史年表によれば、紀元前2300年頃は古代文明の黎明期。エーゲ文明・オリエント・インダス文明・黄河文明など、歴史の教科書で大昔に習ったような名前がずらずら並んでました。

 物語はクレタ島の小国シティアの王子ヘルメスを主人公に、ディロス島の王族の娘アフロディーテとの恋物語、クレタ島の圧政者ミノス王との対決と勝利、クレタの新しい王となったヘルメスの魂の成長を描いています。2時間弱の映画ですが、ヘルメスがミノス王を破ってギリシャに平和をもたらすまでが1時間。この前半はドラマチックなエピソードが盛りだくさんなのですが、各エピソードが駆け足で食い足りない印象も残ります。特に敵役であるミノス王やミノタウロスのエピソードは弱い。

 この映画は善玉と悪玉とがものすごく単純に描かれていて、登場人物(神様や妖精も含む)の造形に立体感が乏しい。主人公ヘルメスの成長は描かれているけれど、その成長は直線的で迷いがない。悩みながら成長する、宮本武蔵的な求道者ではないのです。優等生だよね。この映画の中では、ヘルメスもアフロディーテも1度しか悩まない。皆すごく素直で単純なんだよね。

 こういう真っ直ぐな主人公がいると、その対極にいる悪役は屈折した悪の魅力をプンプン漂わせていそうなものですが、ミノス王にはそれがない。彼もまた、迷うことなく悪の道をまっしぐらに突き進む。彼だけじゃありません。この映画に登場する人物はみんな悩まない。勇者テセウスを手引きして自分の父や弟を殺させるアリアドネですら、その行為に疑問を感じていない。これじゃ物語り全体が平板になるのは当たり前です。

 というわけで物語はいまひとつなんですが、映画ファンとしては有名映画からの引用が頻繁に行われていたことを指摘しておきたい。例えばオープニングとエンディングの羽根は『フォレスト・ガンプ』、戦闘シーンは『ブレイブハート』、終盤には『リトル・マーメイド』風の場面があった。ちゃんと人魚も出てきたのには笑ったぞ。ミュージカル風の場面もあったりして、目指してるのはディズニーアニメだということがわかる。


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