一番美しく

1997/03/06 文芸坐2
黒澤映画にしてはつまらないが、演出には見るべきものがある。
主演の矢口陽子は翌年黒澤明と結婚する。by K. Hattori



 太平洋戦争の敗色濃厚な昭和19年に作られた、黒澤明の監督第2作目。平塚のレンズ工場を舞台に、増産に精を出す女子挺身隊の少女たちを描いている。なお最近、女子挺身隊と従軍慰安婦を混同している人がいるようですが、両者がまったくの別物であることはこの映画を観ればよくわかります。撮影は平塚の日本光学(ニコン)の工場と寮で、出演者とスタッフが泊まり込みで行われました。本物の環境の中に少女たちをぶち込んで女優としての虚飾を剥ぎ取り、生々しいリアリズムを生み出そうとする黒澤流の演出法の基本は、既にここで生まれているのです。

 黒澤本人はこの映画を「セミドキュメンタリー」だと評していますが、若い女優たちにとっては過酷な撮影だったらしく、この映画を契機に女優を辞める者が続出。多くが結婚して、映画の現場から離れて行ったそうです。黒澤は自伝「蝦蟇の油」の中でそれを残念がっていますが、かく言う黒澤本人がこの映画の翌年、主演の矢口陽子と結婚してしまうのだから人のことは言えません。

 臨時増産計画の割り当てが男子より低いことを不服として、女子工員たちが割り当てを増やすように工場に掛け合うところから物語が始まります。「女だからと甘やかされたくない」というのがその理由です。こうした物語の前提が、当時の一般的な心理であったわけではなく、かなり特殊なものであることは、工場の大人たちの反応からも見て取れます。国策映画として主人公たちを理想化しようとした結果、はからずも一般的な勤労動員の姿をあぶり出してしまった面白さでしょうか。

 映画のテーマや描かれているエピソードは、今となっては(おそらく当時ですら)面白くも何ともないものです。話が面白くない分、この映画では監督黒澤明の演出術ばかりが目に付くし、後の黒澤作品につながる数々の演出テクニックを拾い上げて行くこともたやすいのです。例えば固定カメラと長回しで芝居をたっぷりと見せる場面と、短いカットを重ねて行くモンタージュ技法の対比。大勢の人物を動かすモブシーンの演出法。人物の出し入れに対する工夫。音響効果と画面とのコントラストを心理描写に利用する技術。効果的なクローズアップ。どこを取っても、ちゃんと黒澤流の絵作りになっている。

 活劇ではありませんが、思わず唸るダイナミックな場面も幾つかあります。行進曲を歌いながら隊列を組んで寮に戻ってきた少女たちが、寮の入り口で寮母さんを取り囲む場面は、一度寮母と小遣いを外に出して、そこから少女たちに押されるように二人を後ずさりで元の場所に戻し、さらにあふれかえる少女たちに追いつめられて小遣いさんが壁際の台の上によじ登るまでを1カットで撮っている。主人公の渡部ツルがレンズの検査漏れに気がつく踏み切りの場面も効果的だし、夜中の工場で独り黙々とレンズの再検査をする主人公の見せ方にも工夫がある。問題の未検査レンズが見つかる場面をあえて省いてしまうのも、演出としては成功していると思います。


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