蝶の夢

1997/02/26 銀座シネパトス3
アンゲロプロスの映画に似た雰囲気だと思ったらカメラマンが同じ。
言葉を話さない青年と家族や恋人とを神話風に描く。by K. Hattori



 この手の映画を観て「つまらない」と言ってしまうのは、僕の個人的な感想としてはすごく正しい。しかし、そのつまらなさは、僕の教養不足からかもしれないという予感が、容易に「つまらない」と言わせることをためらわせる。それにこの映画、「つまらない」の一言では切り捨てられないような、すごく意味深なエピソードや描写の山盛りなんですよ。

 14歳の時から普通の言葉で話すことを止めてしまった青年が主人公。彼は天才的な俳優で、舞台の上での台詞はきちんと話せる。周囲の人の言葉もちゃんとわかっていて、それに対しては古典劇の台詞を引用して返したりする。要するに、彼は明確な自分の意志で、周囲との普通のコミュニケーションを拒絶し、自分の世界を作り上げているわけです。

 森の中の小さな家に住む若い女性だけが、彼とコミュニケーションをとることができる。と言っても、そこにはやはり台詞はないのです。お互いに見詰め合ったり、微笑みかけたり、互いの体に触れたり、抱き合ったりするだけで、お互いの意志の疎通ができる関係なんですね。ものすごく理想的な恋人たち。バイクで旅をするふたりが、見ず知らずの老婆の家で食事をして出てくる場面は、すごく素敵でしたね。幻想的ですらある。主演のティエリー・ブランと恋人役のシモーナ・カバッラリが、いかにも美男美女カップルなのもよろしい。

 映画の前半で「ユリシーズが云々」という台詞があったりしますし、たぶんこの映画は何かの古典劇を現代風に翻案したものなのではあるまいか、とも思う。エピソードがいちいち現実離れしていて、ファンタジックなんだよね。口をきかない主人公という設定もそうだし、主人公と恋人が旅行中に身障者たちの村に迷い込み、石を投げつけられるシーンも、なんだかシュールです。行きずりのジプシーの男と愛を交わす義姉、老女ばかりの義姉の家族、食事の場面で暗闇から突然登場するジプシーの男、義姉と男が踊りだすと照明がゆっくりと落ちて暗闇でのダンスになるところなどもそう。

 最後の地震もいきなりだし、そのあと主人公と恋人が石切り場の跡で声を掛け合っていたかと思うと、それまで登場していなかった母親が突然現れてバッタリ倒れ、周りを全登場人物が取り囲むという幕切れも、お芝居みたいですよね。ご丁寧に、古代の劇場跡も登場します。

 『蝶の夢』というタイトルは荘子の「荘周夢に胡蝶と為る」を連想させますが、特にそれらしいエピソードはありませんでした。原題にもそういう意味があるんでしょうか。なんで蝶の夢なのかは謎だなぁ……。

 ひとつひとつのエピソードや、役者たちの表情の素晴らしさに引き込まれて最後まで観てしまいましたが、結局この映画が何を言いたいのか、僕にはわからなかった。映画が終った後で劇場内を見回しても、なんとなくみんな怪訝そうな顔をしていたのでちょっと安心。わからなかったのは僕だけじゃなかったのね。


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