ユージュアル・サスペクツ

1997/02/22 早稲田松竹
監督はまだ20代ですよ。それでこの映画を作るのだからびっくり仰天。
『セブン』のケヴィン・スペイシーが満点の芝居。by K. Hattori



 よくできた脚本と演出だと思う。出演者もガブリエル・バーン、ケヴィン・スペイシー、チャズ・パルミンテリなど、一流のクセモノ揃い。物語の中にほとんど女性が登場しないという、おおよそ非ハリウッド的な作りの中で、それ以上の色気を感じさせる映像の緊張感。物語に破綻もないし、ミステリー映画としてもまずまず。映画の完成度という点では、年に何本あるかないかという作品であることは間違いない。

 だだねぇ…。僕はオープニングシーンで、だいたい全体の構成から犯人まで、全部わかってしまったんですよ。もちろん細部の小さなエピソードなどは知るよしもないし、「へ〜、こうなってくんだ」と感心するところもないではないんだけど、だいたいいつも次の一手が読めてしまって、大きな驚きはなかったです。話に飛躍がないんだよね。同じペースで物語を淡々と描いて行く。もちろんそれはストーリーテラーであるケヴィン・スペイシーの「語り」を尊重したからなんだけど、それ自体をひとつの物語として考えると、ちょっと語り口が平板な印象を受けた。要するに、あまりにも普通なのですね。

 映画全体の8割から9割を占めるこの「語り」の中で、観客に「うひゃ〜、こんなの嘘でしょ」と思わせる部分が、ひとつやふたつあったってよかったと思うんだけどな。もちろん全体の構成や最後のオチの問題もあるから、物語が破綻するギリギリの線を見極めるのは難しい。でも脚本にはそうした「観客仰天!」を引き出せるようなネタが、豊富にちりばめられてもいるんです。だからこれは演出の問題なんだけど、20代の監督のブライアン・シンガーにそこまでの余裕や遊びを求めるのは、ちょっとコクかもしれないね。なにしろ、まだ監督としてのキャリアも2作目なんですから……。

 全体にすごくタイトな映画でありながら、今ひとつテンポが悪く感じるのは、監督のこうした余裕のなさが原因でしょうか。映画の中から、監督の一生懸命さが見えてしまうんですね。比べてもしょうがないんだけど、やっぱり昔のヒッチコックには、老獪な監督の仕掛けた緻密なプロットの影に、遊びや余裕が随所に感じられた。大事なシーンをものすごく大雑把に、ざっくりと、ずさんに処理してしているように見せながら、それが映画のリズムを複雑にし、観客の目を引き付けていた。ブライアン・シンガーはこの映画の経験を糧にして、次はもう少し肩の力を抜いた映画を作ってもらいたい。

 ラストのどんでん返し自体は予想されていたことですが、それまでの物語がすべて小さな紙切れやカップの底にある小さな刻印に収斂して行く様子には驚いた。ここで何が起こっているのか、わからなかった観客も多かったんじゃないかな。この見事な幕切れは、脚本家クリストファー・マックァリーの勝利。惜しいのはここしか見せ場のないチャズ・パルミンテリの芝居が、細かなインサートカットで細切れになってしまっていること。このせいで、スケールの大きな映画になりそびれてしまった。


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