天兵童子
総集編

1997/01/11 文芸坐ル・ピリエ
勤王の志を立てた少年武芸者天兵が、大人たちを相手に大活躍。
昭和16年の日活映画。主演は名子役・宗春太郎。by K. Hattori



 昭和16年、日米開戦の年に製作された日活映画。主演は宗春太郎。宗は傳次郎主演の『丹下左膳余話・百萬両の壷』でチョビ安を演じ、嵐寛主演の『鞍馬天狗』シリーズで杉作を演じていた日活の名子役。子役も年が経てば一本立ちする。この映画は宗春太郎演ずる少年武芸者・天兵が、戦乱の世の中で成長してゆく物語だ。原作は吉川英治の子供向け読み物。映画も子供向けだが、決して子供騙しではない。ただし、今観ると内容があまりにも道徳的、国策教育的、戦時体制的なのが鼻につき、純粋に活劇として楽しむことは難しい。

 物語の中で主人公が成長してゆタイプの小説を教養小説といい、その典型は吉川英治の「宮本武蔵」だと言われています。当然、映画版武蔵も教養映画(?)になり、物語の進展にあわせて主人公がどんどん成長し、変わってゆくわけです。この『天兵童子』でも、序盤はそんな雰囲気があって面白い。(原作者が同じ吉川だからかもしれないけどね。)主人公が通りすがりの武芸者の弟子になり、毎日畑に植えた麻の上をぴょんぴょん飛び跳ねたり、志を持って京都を目指したりするあたりは、目に見えて主人公が成長してゆく様子が心地よいのだ。

 ところが、主人公が京都で公家たちの窮状を目の当たりにし、勤王の志を立ててからはいただけない。ここで主人公の目標も生き方も固定されてしまって、その枠を打ち破ってゆくダイナミズムが完全に失われてしまう。主人公の人格は物語中盤で固定化し、そこで完成し、足踏みを続ける。彼の生き方は映画の中で完全に肯定され、主人公は徹底した善と化す。彼は自ら変化することを拒み、逆に周囲を魅了し感化してゆく存在となる。

 皇室の窮状に憤り、信長の行列を遮って喧嘩を売れば、逆にその気概を信長に気に入られてお咎めなし。盗賊に間違われて投獄されても、牢番の男に気に入られて脱走に成功。牢番は天兵を逃して命を落とすが、それに対する責任を主人公は一片たりとも感じていない。秀吉の高松城責めで秀吉方に捕らえられても、逆に秀吉に家来になれと誘われる始末。別の家来に預けられて、城内の仲間が餓死寸前なのに握り飯に食らいつく。あっちに付いたり、こっちに付いたり。調子いいんだよね。主人公に「天皇の臣」を名乗らせることで、戦場での敵味方という区別を超越させているわけだけれど、これはどう見たって、やっぱり節操がないように思えてならない。

 「天皇の赤子」「天皇の臣下」「臣民」などという台詞がポンポン出てきて、製作された時代を感じさせる。この頃の時代劇は、戦国時代だろうが、江戸時代だろうが、幕末だろうが、ヒーローはみな尊王なのです。でもこうした皇室尊重は、時代考証としてどうこうという以前に、やっぱり映画として不自然だと思う。『天兵童子』の場合、そうした勤王主義を抜き去ると物語が成立しなくなるから、そこは巧妙にできてるんだけど、それでも最後の「臣民がひとり生まれました」には爆苦笑。当時の子供は、本当にこれに感動したのだろうか?


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