三等重役

1996/12/29 並木座
昭和27年のサラリーマン映画だが、内容は現代に通じる。
主演の河村黎吉はこれが代表作です。by K. Hattori



 戦後の公職追放(パージ)で、大企業の経営者たちはその権限を大幅に剥奪された。会社経営への参加を拒まれ、会社への出入りを差し止めにされた。この結果、それまで重役になる見込みのなかった社員たちが大挙して役員に押し上げられ、会社の実権を握るようになる。これが「三等重役」である。この映画の主人公である南海産業の社長も、そんな三等重役のひとりだ。先代社長が追放され、思いもかけずその後釜に座っている。

 物語はこの先代社長の追放が解け、会社経営に復帰するという新聞記事から始まる。主人公にとっては寝耳に水の話。朝の食卓はその話で大騒ぎ。会社も騒然。要するに彼はこうした話に関しては蚊帳の外に置かれている部外者だということが、映画のしょっぱなから観客の前に突きつけられるのだ。これはかなり残酷な話である。ところが先代社長は会社復帰というその日に、脳溢血で倒れる。先代の健康を気遣いながら、内心はやれやれと胸をなで下ろす主人公。

 映画はいくつかのエピソードを数珠繋ぎにしてゆく構成で、ひとつひとつは他愛のない話だ。しかしそのどれもが、ちゃんと会社の中の話になっているところが偉い。会社の中の上下関係や役職分担、仕事の中に現れる人間臭さ、嫌味にならない程度の公私混同。「社長シリーズ」から「無責任男」に連なる、東宝サラリーマン喜劇の先がけ的な作品だということも納得が行く。先日みた『サラリーマン専科・単身赴任』が、サラリーマンを標榜にしながら結局はホームドラマにしてしまっているのに比べると、はるかに面白く見られた。

 パージによって旧体制がいなくなった会社というのは、要するに、上から下まで全員がサラリーマンになった会社ということです。南海産業は縁故入社を認めない主義だそうですから、全部が全部たたき上げのサラリーマンばかりになった。社長と言っても特別な人ではない。出世の階段のトップに座っている人というだけのことで、そこには断絶がないのです。それが会社の風通しのよさにつながっている。上目使いに顔色をうかがうのではなく、何でも好きなことが言える雰囲気がある。社長の側にも、「今の自分はたまたま社長であるにすぎない」という自覚があるから、不必要に威張ったりはしない。

 主演の河村黎吉がとてもいい。本当は小心なのに虚勢を張っているところや、職権をかさにきて我が侭を通してしまうところなどが、嫌味にならないギリギリのところで描かれている。芝居は巧いとも思えないんだけど、時々見せる表情がとてもいいんですね。芝居に幅がない部分が、かえってこの人物の羽目を外せない性格をうまく現わしている。真面目な秘書・小林桂樹と、老獪な人事課長・森繁との対比も面白く、特に森繁は、この物語をずいぶんと華やかにふくらましている。

 先代社長の娘婿が入社したことで、自分の役割が終りつつあることを感じる社長の寂しそうな表情には同情した。サラリーマン社長の哀感は時代に色褪せない。


ホームページ
ホームページへ