戦火の勇気

1996/11/14 日本劇場
ロマコメの女王メグ・ライアンが軍人役! しかも戦死!!
デンゼル・ワシントンがその真相を調べまくる。by K. Hattori



 この映画観て、多分アメリカ人は感動するんだろうなぁ。でも、僕には最後のところでよくわからない映画だった。骨太なプロット、人物設定の巧みさ、明確なテーマ、思慮の行き届いた脚本、役者たちの迫真の演技。言いたいことはわかる。映画の内容はちゃんと理解できる。だけど、映画の外側にある作り手の気持ちや、この映画を観たであろう多くのアメリカ人と同じ気持ちが僕にはないので、結局最後にはわからなくなってしまうのだ。

 「軍は俺の人生だ」というデンゼル・ワシントンの台詞。ヘリコプターに憧れ、民間のパイロットではなく軍人としていきることを決めたメグ・ライアン。ベトナムに従軍した経験を持ち、戦争の真実を探りだそうと奔走するスコット・グレン。こうした登場人物たちが共通して抱えるテーマは、国家と軍と家族の中でどう折り合いをつけてゆくかという問題でしょう。これは日常的に「軍隊」という存在を意識することなく生活している日本人には、絶対に理解できない事柄だと思うのです。

 デンゼル・ワシントン演じるサーリング大佐が軍と自分の生活を同一視しているのと同じく、メグ・ライアン演ずるウォールデン大尉も軍のために自分の命を捧げることに何のためらいも感じない人物です。それは強さとか勇敢さとかいう問題ではなく、軍人という職業を自分で選び取った者の持つ、人生に対する覚悟のようなものでしょう。僕はそれが頭では理解できるんですが、感覚的にひっかかるんですね。ひるんでしまう。

 この映画のコピーは『名誉をかけて、正義を求め、真実のために戦う』という物なんだけど、軍隊の中に「名誉」や「正義」や「真実」があるなんて考えられますか? 僕は「軍隊こそ諸悪の根元」「軍隊はひどいところ」という教育を受けていますから、こう言われたってにわかには信じられないぞ。ようするに、僕は根本的なところで軍隊アレルギーなんです。

 『戦火の勇気』という映画はハリウッド映画ですから、その根本には「アメリカは立派」「アメリカは偉い」「アメリカ万歳」というテーマが隠されている。だからアメリカの軍人をことさら立派に描こうとするのはわかるんです。でも、この映画は嘘八百で一片の真実もないかというと、必ずしもそうとは言い切れない。何だかんだ言っても、アメリカ人は自国の軍隊に誇りを持っているし信頼している。政治の中で軍隊が翻弄されることはあろうとも、自分たちの隣人として軍隊そのものには温かい目を注いでいる。映画からはそれが伝わってきます。

 軍隊アレルギーは僕だけの問題じゃなくて、広く日本人全体に行き渡った問題だと思うんです。日本人は軍隊が好きじゃない。特に自分たちの国の軍隊が好きじゃない。それはいささか病的なものなのではないか、と僕は最近思っています。自国民から支持されていない軍隊を持つ国というのは、相当不健康な国です。アメリカ社会は病んでいるかもしれませんが、軍隊と国民との関係は、日本とは比べ物にならないくらい健康そのものでしょう。


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