スクリーマーズ

1996/10/20 東條会館
(松竹シネクラブ・試写会)
フィリップ・K・ディックの傑作短編のふやけた映画化。
脚本が映画の独自性を生かしきれていない。by K. Hattori



 原作は1953年に発表されたフィリップ・K・ディックの古典的な傑作短編SF「変種第二号」(仁賀克雄訳では「人間狩り」という題になっている)。ディックは『ブレードランナー』の原作でもある「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」や「火星のタイムスリップ」などの長編SF、晩年の「ヴァリス」や「聖なる侵入」などの神学的なSFなどが有名なカルト的作家だが、誰もが親しめるという点では初期の短編の面白さが群を抜く。

 「変種第二号」映画化の噂は10年以上前からささやかれていて、手元にある1982年刊の短編集「人間狩り」の役者あとがきにも、脚本監督ダニエル・オバノンで映画製作が進行中との記述が見える。結局この企画はオクラ入りしたが、脚本だけは残った。今回の映画脚本は、ダン・オバノンのオリジナル脚本にミゲル・テファルダ=フロエスが手を入れたもの。原作のアイディアやストーリーを残しながら、若干の変更を施している。ただし、こうした変更が物語を膨らましているか、よりよくしているかは疑問。むしろ原作の持っていた魅力の大部分は破壊されてしまったと思う。

 物語の中で原作との最も大きな違いは、停戦交渉に向かう主人公に若い兵士を同行させたこと。出発の前夜、突然基地の前に墜落したこの兵士は登場直後から何やらいわくありげで、僕は最初から最後まで彼が隠されたスクリーマーなのだろうと思っていました。熊のぬいぐるみを抱えたデイビッドのかわりに配置された人物だと思っていたんですが、途中でデイビッドが登場してアレレ。最後もあれだしなぁ……。これじゃこの人物が何のために映画に登場したんだかわからないぞ。

 東西冷戦時代に書かれた原作は、核戦争に対する恐れと、日常に潜むスパイに対する恐怖が露骨に反映した切実な物で、中盤以降は仲間の中の誰が人間で誰がロボットなのかを探り合う密室劇になる。互いに自分以外誰も信じられぬ中で、疑心暗鬼が深まって殺意にまで到達する様子が面白いんだけど、映画ではそのあたりをずいぶんサラリと流してしまった。原作では疑心の理由をいまだ発見されていない「変種第二号」に対する恐怖に置き、最後のオチまで一貫して「誰が変種第二号なのか」を問い続ける。映画でもチップからロボットのタイプを調べる場面が登場しますが、このあたりの扱いはいいかにもおざなりだなぁ。

 原作にはちゃんと説明があるんだけど、映画の中ではジェシカがどうやって生活していたか、ふたりの兵士がなぜジェシカのもとにいて難を逃れられたのかという説明がほとんどありません。ジェシカの性格付けも、彼女と主人公の関係やオチを原作と変えようとするあまり、結局は中途半端なものになってしまったと思う。

 「構想○年」という映画は「○」の中に入る数字が大きければ大きいほど、できあがった映画がつまらなくなるという法則がある。この映画もそうした法則を打ち破ることはできなかった。期待していただけに残念だ。


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