宮澤賢治
−その愛−

1996/09/22 丸の内松竹
宮澤賢治生誕100年を記念した神山征二郎作品は、
父と息子の確執と和解の物語だ。by K. Hattori


 今年は宮澤賢治の生誕百年にあたるそうで、賢治の伝記映画が松竹と東映で競作されます。先にスタートを切った形の松竹版・宮澤賢治は、主演に三上博史、監督が神山征二郎、脚本が新藤兼人という顔ぶれ。これは4年前に野口英雄伝『遠き落日』を撮ったのと同じメンバーだ。さすがに「実在の人物を描く」ことに手慣れたところがある。有名な童話作家であり詩人である宮澤賢治を描きながら、その幻想的な作品世界にはあえて踏み込まない割り切りかたもよかった。

 この映画の面白さは、教科書の偉人伝的な聖人・宮澤賢治像をぶちこわし、彼を高慢で鼻持ちならない人物として描いた点にある。「どうせ有名人をネタにして古臭い道徳でも垂れるつもりだろう」という偏見をこの映画に持っている人がいたとすれば、それは大間違い。この映画に登場する宮澤賢治は、子供っぽい理想を振り回すはなはだ迷惑な人物だし、自分の為そうとする事と自分の為し得る事のギャップに悩んでは次々に挫折する根性なしだし、自分の周りに小さな自分だけの世界を作ってそこに第三者が入り込もうとすることを拒む小人物だ。

 賢治が農民指導のために設立した羅須地人協会に、彼を慕う女性が入会してくるエピソードがある。牧瀬里穂演じる高瀬露は賢治の思想や生き方のよき理解者だったが、彼女は賢治に強く拒絶されてしまう。「性欲は思索と労働の妨げになる」というのがその理由。この時、賢治は31歳です。彼が女性を拒絶するのは、女性と関わり合う事によって、自分の生活が変わってしまうことが恐いからです。それによって、自分の目指した生き方が歪められることを恐れているのです。もしくは、禁欲することによって、何事か為し得ることがあるはずだと信じているのです。自分に自信がないのです。

 酒井美紀演ずる宮澤トシは、(あめゆじゅとてちてけんじゃ)で「永訣の朝」に登場する賢治最愛の妹です。浮ついた理想主義に流れがちな兄の性格を理解し、最も身近な相談役として、保護者として、妹というよりむしろ姉のように振る舞うトシ。彼女の存在と死は賢治の生き方に大きな影響を与えていると思うんですが、その死の場面は「永訣の朝」の感動を超えるものではありません。二人の関係をもう少し掘り下げると面白かったかもしれませんが、そうすると賢治の禁欲生活もかんがみて妹との近親相姦的な関係が浮かび上がってきそうです。

 映画では賢治役・三上博史の熱演がもちろん見ものなんですが、それ以上に仲代達矢演じる賢治の父親が素晴らしい。子供のように泣き叫ぶ息子を抱きしめる事ができない父親は、じつは誰よりも息子の理想や夢を理解している人間でもあるのです。東京の下宿に息子を訪ねる父の表情や、息子と二人、温泉で養生する姿も印象に残る。理想と現実の間で空回りを続ける息子を見守り、最期を看取る父親の姿は感動的。東京で病に倒れた賢治が父親に電話をする場面で、この物語の底辺に流れていたのがじつは「父と息子の物語」であることがわかります。


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