野獣死すべし

1996/09/01 文芸坐2
「汝殺すなかれ」というタブーを破ることで神を凌ごうとした男。
松田優作のキレかかった芝居はすごい迫力。by K. Hattori



 画面に登場した松田優作の、爬虫類のような目つきと頬のこけた表情にびっくり。手足もひょろひょろ細長く、かなり体重を落としたであろうことがうかがえる。彼はこの役作りのために奥歯を抜いてしまったという話だ。凄い役者魂。いつもの日に焼けた逞しさは姿を消し、蝋のように真っ白で無表情な顔に、目だけがきらきら輝いている。そこまでしただけあって、この映画の優作は鬼神のような迫力。観客の魂を揺さ振るような芝居をする。

 冒頭の主人公登場シーン。土砂降りの雨の中で刑事を刺殺し拳銃を奪う。もつれ合う二人をロングで撮ったカメラは動かない。雨音で二人の声がかき消され、乱闘のディテールが失われていることが、より一層の迫力を生み出している。一撃必殺ではなく、まずは機会を捉えて相手の足に切りつけて動きを奪い、次に急所を狙うという立ち回りは陰惨だがリアル。この場面だけで、この映画の行く先は決まった。

 この映画では銀行襲撃が物語の中心になっているが、主人公の目的は金ではない。彼が求めているのは、過剰な暴力の中に自分自身を置くことだ。彼は東京のど真ん中で戦争を始めたい。都会の雑踏とコンクリートのジャングルの中で、果敢なゲリラ戦をやりたいのだ。刑事殺しもカジノ襲撃も銀行を襲うのも、戦いの場に自らを置くための方便でしかない。でなければ、彼が最初に刑事を襲う理由がそもそもないではないか。彼は拳銃小銃など数多くを保持しているのだから、あそこでわざわざ刑事から銃を奪う必要なんて本来ないのだ。これは佐藤慶演ずる銃の売人を殺す場面でも同じ。彼は銃が欲しいわけではない。雑踏の真っ只中で人間を射殺するスリルが味わいたいだけなんだ。

 この映画の主人公は『蘇える金狼』の主人公のように、女に心を動かされて挫折したりしない。すべての人間的な感情を排除し、自分を殺人機械に仕立て上げることに喜びを見出している。そんな彼が唯一社会との接点を持っているとすれば、それは音楽を通してだろう。だからこそ、小林麻美演ずる音楽好きのOLは、主人公を社会に復帰させる架け橋になるかもしれない存在だった。彼もそれを知っているから、彼女の好意を知って苦悩する。

 結局彼は彼女を射殺することで、社会との接点をすべて断ち切ってしまう。この時点で彼は完全に暴力の世界に入り込んでしまうから、最後の演奏会シーンで居眠りしてしまうのも当然なのだ。彼はもう音楽に感動の涙を流すことはない。暴力だけが彼の伴侶だ。音楽堂から出てきた彼を襲う銃撃の幻想は、彼自身が招いたものだろう。

 鹿賀丈史が女を殺すことをためらっている間も、しっかり外で墓穴掘って待っている主人公。彼は殺人の恐怖に震える鹿賀に向かって、殺人と暴力の美学を語る。この夜のエピソードでは、画面の構図がシンメントリーになっていることが、シュールレアリスティックな雰囲気を作り出す。荒れ狂う暴風雨と静謐な室内のコントラストが、主人公を美しき生ける悪魔に仕立て上げる。


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