ビリケン

1996/08/25 シネ・ラ・セット
通天閣に突如現れた幸福の神様ビリケンが巻きおこす大らかなコメディ。
マッチョ嗜好の固さがとれた阪本順治監督作品。by K. Hattori


 通天閣で名高い、逆に言えば通天閣しかないのではないかと思われる大阪・新世界界隈に、振ってわいたオリンピック誘致計画。「わしらの町を潰して再開発だとぬかしよる。くそ〜、なめられてたまるかい。町にぶわ〜と人ようけ呼んで、オリンピックてなもん来んかてかましまへん、言うたろうやないか」と気勢を上げたところで、町の頼りの綱はやっぱり通天閣しかないのが辛いところ。古びた通天閣に大昔人気スポットであった頃の面影はない。通天閣の社長が岸辺一徳だから、これまた少々頼りない。そこに登場するのが、倉庫で眠り続けていた幸せの神様ビリケンの木像。展望台に設置されたビリケンの御利益は絶大で、評判は評判を呼び展望台は毎日長蛇の列になる。

 ビリケンの木像は礼拝のための装置で、実際に願い事を聞いたりかなえたりするのは生身の肉体。ビリケンは木像と人間の姿が二位一体となった神様なのだ。神様や天使が人間の姿を借りて人々を助けるという映画は、ハリウッドにも古くからあって、例えば名作『素晴らしき哉、人生』などもそんな映画のひとつ。映画『ビリケン』はこうした映画たちの衣鉢を継ぎながら、ビリケンの特異なキャラクターで完全にオリジナルの世界を作っている。そもそもアメリカの彫刻家が作り、映画『哀愁』ではビビアン・リーもお守りにしていたビリケンが、日本人の格好をしていて、大阪弁をしゃべっているというのが可笑しいではないか。

 ビリケンを演じた杉本哲太がはまり役。このキャスティングを考えたやつは偉い。杉本が持つエネルギッシュでパワフルで強面な印象は、今まで「実直な若者」とか「一本気なやくざ」とか「非情な殺し屋」とか、そういった方面に発揮されることが多かった。そうした今までの杉本哲太像を、この映画は粉砕してしまったかもしれない。小柄で丸っこいビリケンの木像に対し、生身のビリケンを長身の杉本に振ったことで、ビリケンの持つパワーに有無を言わせない説得力が生まれるんだよね。木像に近そうな体型の俳優、例えば仮に松村邦洋がビリケンであってごらんなさい。この映画の面白さは生まれっこない。この映画の面白さは、意表を突いた杉本哲太のキャラクターにあると断言する。

 さらに言えば、通天閣の上に杉本哲太を立たせて、その周りをヘリで旋回しながら空撮するショットを考えたやつは偉い。ビリケン登場直後とエンディングに登場するこのショットが、通天閣の守護神ビリケンの一切を象徴的に描き出している。加えてあの髪型、身体にぴったりした縞のスーツに裸足というのもいい。ビリケンは風邪ひいて寝ているときもスーツを脱がない。ビリケンの風変わりなイコン(聖像)として、このコスチュームを考えたやつは偉い。偉すぎる!

 杉本ビリケンに負けずに存在感を発揮する、脇役たちも偉い。岸辺一徳、山口智子は言うに及ばず、南方英二、泉谷しげる、浜村淳、原田芳雄にはしびれた。


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