ケス

1996/07/28 シネ・アミューズ イースト
空気の質感まで感じさせる撮影の見事さに物語の温かさと残酷さが映える。
主人公の少年のぶきっちょさに大いに共感。by K. Hattori


 『レディバード・レディバード』のケン・ローチ監督が1969年に撮った映画。ヨークシャーの炭坑町を舞台に、ハヤブサを飼う少年の姿を描く。心をゆすぶられるような大きなエピソードはないが、画面に映し出されている風景や、登場するキャラクターたちがリアルで、映画を観ながら対象にじかに触れているような生々しさを感じることができる。

 主人公ビリーを演じたデイヴィッド・ブラッドレーがとりたてて賢そうでも、健康そうでもないのがよい。身体が小さくてケンカに強いわけでもなく、勉強はあまりできなくて、家でも学校でもいじめられっ子で、家では兄から、学校では先生たちから目の敵にされていて、手癖が悪くて警察沙汰を起こしたこともある問題児で、友達がいなくて……、という主人公の姿は、不思議と僕に容易に感情移入できるものだった。僕が中学生ぐらいの頃、同じような体裁の悪いクラスメイトがいたなぁ、なんて思い出していました。

 友人らしい友人のいないビリーにとって、ハヤブサのケスが唯一の友人です。「ハヤブサは飼い慣らせない。人に服従しないから好きだ」と言うビリーにとっては、ケスとの信頼関係が何にも代え難い財産になっている。この信頼関係はビリーとケスが共に作り出したもの。彼らだけが持ち得る、掛け替えのない宝物なのです。それをわかってくれる人は少ない。唯一の理解者は、学校の国語(話し方)の先生ぐらいでしょう。ビリーがケスを訓練している様子を、先生が遠くから見学する場面がありますが、この様子を見れば、ビリーとケスの信頼関係がどれだけ深いものかがよくわかる。先生はそれを理解するし、映画を観ている観客もそれを理解できる。この先生はその後の物語に積極的に関わってくるわけではないから、映画の中では一種観客の代理として機能するだけでしょうね。ビリーの心の中身を少しだけ引き出す、触媒のような人物です。

 授業の中で、この先生がビリーからケスの話を引き出してゆく過程は素晴らしい名場面でしょう。「話すことなど何もない」というビリーを黒板の前に立たせ、的確に言葉を差しはさみながら、ハヤブサの訓練方法について一通りの話をさせてしまう。最初はふてくされていたビリーの表情が、話をしているうちに生き生きと輝きはじめるのには息を飲みます。

 この先生に比べると、他の先生はロクでもない人物ばかりです。授業中に自分がサッカーに夢中になってしまい、負けた腹いせにビリーに冷水のシャワーを浴びせる体育教師はまだ可愛い方で、ひどいのは校長でしょうね。朝礼の教壇で聖書の教えを口にしながら、次の瞬間同じ口で生徒に罵詈罵倒の言葉を浴びせ、理不尽な体罰を科する様子にはサディスティックな情熱しか感じない。

 ケスを殺されたビリーが母親に泣きつくと、母親は「また別の鳥を飼えばいい」と言う。ケスの遺体を土に埋めるビリーの孤独さが胸に迫るラストシーンです。


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