歩道の囁き

1996/07/27 東京国立近代美術館フィルムセンター
昭和11年製作の音楽映画。話は垢抜けないが登場する風景や風俗が面白い。
会場には映画に出演した中川三郎さんの姿も見えた。by K. Hattori


 昭和11年製作の音楽映画。主演はジャズ歌手のベティ稲田とダンサーの中川三郎。アメリカ帰りの歌手ベティが怪しげな興行主に金を持ち逃げされ、路頭に迷っていたところで中川三郎演じる若いバンドマンと出会う。途中いろいろエピソードがあるのだが、どうも話の運びがモタついて子細がよくわからない。最後はバンドの存亡をかけたジャズ合戦みたいになるのだが、中川のバンドは今ひとつ本来の調子が出ないまま劣勢。そこに駆けつけたベティがバンドに合わせて歌うと、ダンスホールの客が熱狂狂喜するという、まことに都合のよいハッピーエンド。

 この映画についてはつい最近発刊された中川三郎氏の評伝「ダンシング・オールライフ/中川三郎物語」(乗越たかお著・集英社刊)に製作裏話が載っている。かなり画期的な野心作だったようだが、映画の製作当時は配給元が見つからずオクラとなり、戦後になって『思い出の東京』とうタイトルで公開されたという。「ダンシング・オールライフ」には『残念ながら、これだけ鳴り物入りで撮影されたこの映画は(フィルムの行方がわからないため)今日見ることができない』と書かれているが、今回フィルムセンターでその幻の映画を観ることができたのは僥倖である。

 フィルムはアメリカで発見されたそうだ。ちなみに同じ日に観た『丹下左膳・第1篇』も海外で発見されたもの。日本で撮影された日本映画が、海外でひっそりと眠っている例はまだまだ多いのかもしれない。なんだか話があべこべのような気もするが、今後どんなフィルムが発見されるか楽しみでもある。

 この日の上映には中川三郎さんご自身がお見えになっていて、上映が終わってホールに明かりがついた時、会場の観客から中川さんに対して大きな拍手が贈られたのは感動的でした。中川さんは製作当時この映画を観ることがなく、今回初めて60年ぶりに自らの出演作品をご覧になったそうです。「ダンシング・オールライフ」が映画化される時は、このフィルムセンターの部分を導入部とエンディングにするといいな。『プリティ・リーグ』か『フォー・ザ・ボーイズ』みたいですけどね。

 映画自体は今の観客の目から観ると、やはりちょっとトロ臭くドロ臭い。出演している連中は多分思いっきりカッコつけて「新しい青春像」を形にしようとしているんだろうけど、怪しい興行主に対抗する若いバンドマンたちの洋服姿も十分に怪しげなチンピラ風だし、みんな家に帰ってくつろぐと着物来てるし、主人公の友人の妹は日本髪結ってるしなぁ。立ち回りになると、突然時代劇の身のこなしになってしまうのもいただけない。

 逆にアパートの中の様子とか、戦前の町並みの様子とか、そういう風俗の部分はすごく面白い。戦後封切られたタイトルが『思い出の東京』というのも頷けます。戦災で焼けてしまう前の銀座の街並み、人々の暮らし向き。そんなものがひとつひとつ面白く思えました。


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