トゥー・ビューティフル・トゥー・キル

1996/07/06 PARCO SPACE PART3
事故で妻を失った精神科医が、狂気と幻想の中で真実を発見する物語。
どこまでが真実なのかは誰にもわからない。by K. Hattori


 原題は「WHERE TRUTH LIES」だが、これに日本の配給会社が「TOO BEAUTIFUL TO KILL」という英語の日本版タイトルをつけました。僕は結構面白い映画だと思ったんですけど、詳しい内容を調べようと思ってIMDbを検索しても、この映画についての記述は見つかりませんでした。アメリカでは公開されていないのかなぁ。

 妻を事故で失った精神科医が、再婚したものの事故の記憶から立ち直れず、酒浸りになってリハビリ施設に送られる。この施設の院長がマルコム・マクドウェル。主人公はへんに色っぽい看護婦から怪しげな薬物を注射され、日毎夜毎に幻覚と悪夢にうなされるようになる。鮮烈な幻覚として現実の領域を侵し、主人公を打ちのめす記憶の断片。それは現実か幻想か薬物による一時的な狂気か。意志も看護婦も「治療」と称する薬物注射について一言の説明もない。広がる疑心暗鬼。

 主人公の主観的な世界を映像にするという点で、この映画はエイドリアン・ライン監督の『ジェイコブズ・ラダー』を思い出させる。しかしここには『ジェイコブズ・ラダー』にあった救済という宗教的テーマはない。マコーレー・カルキン演ずる天使は現れないし、アル・ジョルスンの歌う「サニーボーイ」も聞こえてこない。主人公はひとりで周囲の状況と戦うしかないのだ。リハビリ施設はどうやら精神病院らしいのだが、無機的な美術デザインが主人公の疎外感や孤独、周囲から切り離された孤立を強調する。ジョン・カーペンターの『マウス・オブ・マッドネス』でサム・ニールが入院する精神病院が、ちょうど似たような感じでした。

 ジャンルとしてはサイコスリラーの範疇に入る映画なんだろうけど、最近流行のこのジャンルの映画の中では、ものすごく見ごたえのある映画のひとつでした。結末に向けて、物語が大きな螺旋を描きながら猛スピードで進んで行く過程で、観ているこちらは乗り物酔いしそうになります。スリラーと言っても犯人探しが主題ではなくて、まずは主人公がなぜ施設に監禁されねばならないのか、彼が受けている治療と称する行為の中身は何なのか、彼の見る幻覚の意味するものは何かなど、さまざまな謎が強烈な刺激をともなう映像として主人公と観客の前に提示されてゆきます。

 この映画では最初から最後まで、何が現実で何が妄想による幻覚なのかわからない部分を作ることに成功しています。クライマックスで事件の真相が明らかになり、そこに主人公自身の手によって決着がつけられますが、このクライマックス自体が主人公の妄想である可能性も捨て切れない。むしろあの唐突な終わり方は、そう考える方が自然なのかもしれない。

 それにしても最近、精神科医がノイローゼや精神病になる映画を立て続けに観たなぁ。『ストレンジャー』『カウチ・イン・ニューヨーク』。みんな疲れてるねぇ。


ホームページ
ホームページへ