ジャンクション

1996/06/06 銀座シネパトス2
黒人と白人の立場が逆転した設定の面白さに最初は引かれるが、
途中からトラボルタが物語をリードする。by K. Hattori


 黒人と白人の立場が完全に逆転した世界というアイディアはよしとしても、そのアイディアだけで映画の前半を押し通すのはちょっと苦しかったかもしれない。中盤以降は誘拐犯と人質で何やらバディムービーっぽい展開になり、終盤まで一気に見せる。こういうのはアメリカ映画のルーティンたる強みではあるけれど、その分やはり一定の枠から出られない枷になっていることも事実。後半になっても「黒人と白人を入れ替える」というアイディアが物語の足を止めることが多く、言いたいことはよくわかるんだけど、少しモタモタした印象が残る。

 チョコレート工場を経営するハリー・ベラフォンテ一家の食事風景から物語が始まるんだけど、この時点ではまだ「裕福な黒人一家」の話だと思っていたわけです。ベラフォンテが「白人は遺伝学的に黒人に劣る」と言っても、それは社会的な成功者になった黒人の白人に対するねじれた劣等感の現れかしらなんて感じないでもなかった。ところがその後工場労働者のジョン・トラボルタが登場したあたりから、映画が一種のパラレルワールドSF調の色彩を帯びはじめる。僕はF・K・ディックの傑作『高い城の男』を思い出しましたが、『猿の惑星』も似たような感じの話かしら。要するに現実の世界で黒人が置かれている立場に白人を置き、黒人を白人の立場に置くというそれだけのことなんですけどね。

 この映画の中では資産階級がすべて黒人、テレビタレントがすべて黒人、アメコミヒーローもすべて黒人。社会の主要な場所はすべて黒人が支配していて、白人はその下で「黒人に認められよう」といじましい努力をしている。白人は黒人大家が経営する貧しい住宅街に暮らし、白人街の上空を警察のヘリコプターが常に旋回している。白人というだけでまともな職はあてがわれず、白人というだけで警官から不当な取り調べと暴力を受ける。黒人の少年たちの日常を描いた『ボーイズ’ン・ザ・フット』という映画に、同じような場面がありました。

 ベラフォンテ演じる社長の家に荷物を届けに行ったことがきっかけで、勤めていた工場を解雇されてしまったトラボルタ。原因は些細な誤解だってことは明らかなのに、彼には釈明のチャンスも与えられない。社長に直談判しようとすれば、玄関先で文字どおり門前払いされてしまう。家には妻と幼い子供たち。職安に行っても白人には職がない。大家には家を追い出される。トラボルタは思いあまった末、社長を誘拐してしまう。

 この後誘拐した側と人質側のやり取りがいろいろあって、社長はトラボルタの人間的な魅力を理解するに至るんだけど、多分社長は最後まで白人の置かれた待遇の不当さについて理解することはないのだろう。それが現実世界の白人の立場を映している。


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